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選手反省集

​秋田100kmマラソン2020

反省

名前:神邑    日付:2019/9/23(月) 18:0

二郎に並んでいるあいだ暇なので書きます

時間 12:25くらい

反省
院試勉強を言い訳にして走らないでいたら、8月の月間走行距離が50km弱になってしまった。9月に入り、少し走るかと思ったので、3回jogして体を慣らし、峠を意識して泉ケ岳や定義へ走りに行った。片道しか走らなかったので、下りに不安が残った。直前一週間はバイトややりたかったゲームの消化などで全く走らなかった。

前日に自分を追い込みすぎて、スマホと眼鏡を失ってしまった(回収しました)。

チャレンジの詳細の展開については昨年とあまり変わらないので割愛します。昨年と違うところは、

山で歩かなかった
途中で30分寝た
とにかく沢山食べた

です。
2回出てやはり気をつけないといけないなと思った点は

42km〜56kmはほとんど下りなので脚への負担が大きい
89km〜95kmは最終盤なのにアップダウンが激しく心が折れやすい
食べないと走れない
寝ても体は回復しない。だるさが筋肉痛に変わるのでむしろ辛い
歩いても体は回復しないので無理して走ったほうが苦しむ時間が短くて済む
目標タイムがあるのなら、しっかりペースを守って走り続けないといけない

です。

秋田100kmは人もコースも制限時間も優しい、良い大会です。出るといいと思います。

サポートの3人には本当に感謝ばかりです。実は応援の方が大変という遠征ですが、来てくださり本当にありがとうございました。馬鹿な遊びにつきあってくれてうれしいです。ゆみさんに仕切り任せきりですみませんでした。ありがとうございました。とにかく感謝!!ってなる遠征でした(語彙力)。伝わってください。

感動的なほかのみなさんの落とし書きに期待してます。僕はらーめん(失ったカロリーを取り戻す!)の準備が整いそうなのでそろそろ書くのをやめます。

名前:荒井    日付:2019/9/25(水) 20:26

秋田100キロマラソン

100キロ完走 12:44

【反省とこの体験から得たこと】

なんとか念願の完走を果たすことができました。

前回出場したときは膝を痛めて53kmでリタイアした。

今回は序盤気持ちの良いペースで走っていた。運良く膝が悲鳴をあげることはなかった。応援の方の声援に笑顔で答える余裕があった。

一番辛かったのは35~42kmの登り。

以前フルマラソンに出た時と同様35km地点で頭に血が回らなくなり、それまで快調だったペースも落ちてしまった。その辺りで石原くんにも抜かれ、このままのペースだと完走できないなという気持ちが頭をよぎった。

後ろからはリタイア者を乗せたバスが通る。

きつい登りでみんな歩いてるし、応援もいない。

とても辛いしここであきらめて歩いても誰も怒らないし、しょうがないでしょ。






それじゃだめだ!!!

僕は何のために秋田まで来たんだ!!

ゴールは自分の前にしかないんだ!!後ろを振り返っても立ち止まってもゴールには一ミリも近づかない!!

どんなにペースが遅くても走り続けないとゴールは近づかないし、自分で納得もできないんだ!!!


自分にそう言い聞かせました。今までちょっとだけやって諦める中途半端な自分が、この瞬間に生まれ変わりました。

そのまま50km地点へ到着

前回リタイアした53kmの小エイドもクリア

65~80kmは走ってるのにゴールに近づいてる実感がほとんどなく辛かった

90km地点に到達し、完走はできそうだしみんな歩いてるから気を抜いてしまった

でも歩いたら完走にはギリギリ間に合わなさそうだから、のんびり歩いてる人を尻目に全力で走り続ける

残り3kmで街が見えた

残り2kmで市街地に入った

残り1kmで商店街の人の応援が耳に入る
でもまだまだ完走できる実感はなかった

鷹ノ巣駅の交差点を曲がり
沿道に大勢の観客が

前に聞いた大太鼓の音
観客からの完走おめでとう

この瞬間に
ついに自分は生まれ換わったのだと
100キロマラソン完走をすることができるのだと

喜びの涙が止まらない


そして数ヶ月前から常にイメージしていたゴールゲートをくぐる

想像していたよりも何倍も辛かったけど

途中で何度もやめたくなったけど

想像よりはるかに豊かな達成感と自信を得ることができた


とんとらの人と抱き合った後から、全く歩けません
それは一日たった今日も同じです

はっきり言って練習は全然足りていません。おかげで足を負傷しています。

それでも自分に勝った
自分で決めたことを最後までやる
とても辛いし辞めたいけれど、常に前に進み続ける

そういう経験ができました。とんとらでは今までインカレ選手の情熱と勇姿に感動を受けていましたが、初めて今回自分が与える側になれたのだと感じます。

完走は僕一人の力でできたわけではありません。
いろいろ準備してくださった仕切りのゆみさん
長時間に渡って姿を見せてくれた応援のみんな
同じコースを走り抜いてくれた選手のみんな
声援をかけてくださったりエイドを準備してくださった秋田のみなさん
インスタや落とし書きを通して応援してくれたみんな

全員のおかげで完走できました。今までのレースとは比べ物にならないほど応援に助けられました。

これからの自分の人生がスタートしました
自分に負けない、自分を信じる、最後までやり抜く
この言葉は生涯胸に抱いています

応援ありがとうございました。
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m

名前:三浦    日付:2019/9/24(火) 12:46

約66km 地点 リタイア
時間 9:26

はじめに
学部3年生のころから「ウルトラマラソンに出ます」と言い続け、3回目どころか4回目の正直でようやく重い腰を上げました。
ウルトラマラソンに意欲的だった先輩や同期がすでに卒業し、一緒に行ってくれる人はいるだろうか、と不安に思っていました。とりあえず企画する前に周りの興味がありそうな人に声を掛けてみたところ、それなりに好感触だったので思い切って部内で参加者を募ることにしました。
想定以上に人が集まり、個人的には安心半分、嬉しさ半分でした。参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

反省
100kmマラソンは、半ば運動から遠ざかっていた自分に喝をいれるために出場を決めた大会でした。その作戦が功を奏したかと言えば、全くもってそうとは言えませんでしたが、やはり普段とは違う環境に身を置くという経験から学ぶことは多かったです。
結果としては北緯40°ゲートで写真を撮るという目標を達成したことで気持ちが切れてリタイアしましたが、そういった自分の精神的な弱さも含め、学びがあるという点で、年に一度くらいはバカなことをするものだな、と思いました。

マラソンに向けて自宅周辺のアップダウンがある道を走り、坂に対する嫌悪感を軽減させていたので上りはまったく辛くありませんでした。
7km過ぎくらいから並走していたおじさんが、「35km過ぎから続く上りに備えて足を残しておいた方がいいよ」「去年俺は50km6時間かかったけど、残り10分で完走できた」などありがたい情報を教えてくださり、その情報だけ頭に入れて淡々と走り続けました。自分が練習で走っていた坂の方が勾配が急だったので、結局35km過ぎの坂も思ったほど辛くありませんでした。
想定外だったのは、寒さ対策で着ていたカッパ兼防寒着のビニール袋のおかげで汗をかきすぎて38km過ぎくらいから脱水になりかけました。私は寒さに弱いので着ていて正解でしたが、その分エイドできちんと給水するべきでした。

下り坂で足に大ダメージを受けてからは、ペースも上げられず、1kmが非常に遠く感じました。上りに入ってから、エイドも4~5km間隔から7km間隔になっていたので、エイドで食べられるシャリを楽しみに走っていた自分にとってはエイド間の区間が苦行でした。

100kmマラソンを通して、自分にとって最大の収穫だったのは足を痛めない靴に出会えたことです。留学中に走ったトレイルランのために買ったトレイルランニングシューズで走ってみましたが、長距離を走って初めて土踏まずの痛みや足の親指の内出血による激痛に悩まされませんでした。もちろん、レース後も足裏全体の痛みはありますが、今まで冬季のLSD練習や個人的に出場していたマラソン大会で万年悩まされていた足のトラブルが発生しなかったことは嬉しい限りです。
もう金輪際陸上用の薄くて軽い靴を履くことはないと思います。
あと、寒がりの自分にとっては50km地点で全身着替えてカッパを脱いだことも大正解でした。

身体的な辛さは色々ありましたが、朝4:30スタートにも関わらず、沿道で応援してくださる方々、スタート地点からもゴール地点からも遠く離れた山間部でマラソンの出場者リストを手に、応援してくださる方々のあたたかさを感じる素晴らしい大会でした。
社会人になるとこんなアホなイベントに付き合ってくれる仲間を見つけるのは大変だと思いますが、何とか仲間を見つけてまた挑戦したいと思います。

選手はもとより、3日間ただただ付き合ってくださった応援のみなさんありがとうございました。応援がなかったら早々にリタイアしていたと思います。感謝の一言に尽きます。

お疲れ様でした。

名前:堀井    日付:2019/9/25(水) 1:5

インカレ通らなかった時のモチベ維持のためにエントリーしたため、全然練習していなかった。一回だけ25kmくらい走ったが、足がオワッてしまった。

~10km
大人数で約6:00/kmで走った。だんだん身体が温まり、暗くてテンションも上がったため、楽しい!!!!と思った。この時までは。ヤッシーを追走すると言ったキモトにさよならバイバイ。俺はこいつ(GARMIN)と旅に出る\ピロリ~ン/

~20km
数日後に提出しなければならないレポートの存在を思い出して絶望した。少しペースを落としたが、それでも周りの人を抜かしてしまったため、もっっっと落としても大丈夫だった、むしろ落として足を溜めなければならなかった(教訓)。動いていたため涼しいと思っていたが実際は寒くガンガン体力を削られていたらしい。アームウォーマーとカーフガードをつける予定だったが車に忘れてきたため着けていなかった。コレ失敗した!最大の!

~30km
脚が張ってつら...と思い始めたため、周りの人のシューズとかを観察した。ターサー爺ルやナイキのふかふかなど様々だった。GARMINがめちゃずれており、よし30kmだ!と思っていたらその先のエイドで28km地点と表示されていた時はさすがにムムム( `ω´)と思った。

~40km
エイドで補給しても胃に落ちていかずずっと食堂付近にある感覚で、めちゃくちゃ吐きそうだった。右側の臓器が痛み、そういえば前日の宿で足つぼ台に乗ると右肺、肝臓のところが痛かったため、アレはあながち間違いではなかったのか~と感心していた。肝臓...酒?アッ...(察し)。寒さのせいでお腹が全く膨らまず、腹痛に襲われた。つれぇ~ 歩いて走ってを繰り返した。

~50km
生 き 地 獄
登り区間が終わるところにコーラを配る巫女さんがおり、ゴリ押しされて飲んでしまったが気持ち悪すぎて今までの補給全部オロロロと何回も戻してしまった。胃が食べ物はおろか水分も受け付けない感覚...また、左足にこの世のものとは思えないほどの激痛が走り、歩けなかった。しかもスマホも圏外で応援の方と連絡がつかない...リタイヤするにしても次の50kmのエイドまで行かなければならない...だんだんと私を越す人も少なくなり...あぁ...疲れたンゴパトラッシュ......
その後愛彩さんと薫ちゃんが助けに来てくださってなんとか歩いた。関門の時間もあったため50kmでやめた。

~100km
くるまはやかった

やはり日頃から練習しないと足が長時間の負荷に耐えられないと身をもって知ることができた。補給や格好、シューズも全く考えずに挑んだのも良くなかった。反省を活かして来年も走ってみたい気はしなくもなくもない。完走された方はおめでとうございました!

最後に谷野さん、愛彩さん、薫ちゃん、サポート本当にありがとうございました...サポートがないと多分あんなに長くは走れなかったと思います。山奥でサポートカーが探しに来てくれた時は泣くかと思いました。仕切りのゆみさんには全てを任せっぱなしにしてしまいましたが、手配等ありがとうございました。地元の方の応援をたくさん感じることができていい大会だったと思います。練習をしっかり積んでる人は出てみてはいかがでしょうか。

名前:石原    日付:2019/9/25(水) 7:40

記録 12時間59分くらい(制限時間は13h)

・レースまで
8月下旬から練習を始めた。120分jogを1、2日間隔で行う程度。レースの週の水曜日にバイク練のコース(45km)を走り、根拠のない自信を捨ててきた。

・~50km地点
中間地点の通過が5時間25分。イーブンで刻み心肺と脚ともに余力あり。
・50km~66km
下りで脚を酷使していたため足底筋膜炎になる。接地するだけで痛い。ならばと思いつま先着地を試みるも、あと40kmもあると思うと絶望的だった。60km地点でDNFしようと思ったが、66kmのエイドでマッサージあるよと教えてくれた人、沿道の声援、腰が曲がっているのに頑張って走る70代のクリスタルランナー(10回以上完走した人)を見て再び頑張ろうと思えた。壁に当たるときはいつだってヒントを与えてくれる人がいるんだなと人生になぞらえていた。不思議と痛みが和らいだ気がした。
・66km~90km
テーピングをしてもらい少しはマシになった。半泣きで走った。歩いた。残り20kmで制限時間が2時間30分ということが判明し完走を確信。各エイドで座りながらお爺さんと談笑していた。
ここでZARDの「負けないで」が頭の中で流れ始める。
・~100km
走馬灯のように今までの90kmを思い浮かべながら走った。だがラスト1kmで商店街の時計を見ると残り7分を指しているのを見てようやく余裕がないことに気付いてダッシュした。今までのどのスプリットよりも速い1kmだったと思う。大太鼓が見え拍手で迎えられたときは感極まった。

・最後に
人生で一番辛かった出来事と言っても過言ではない。しかし、今までの自分だったら絶対途中で辞めていた。このレースを通じて気合と根性を叩き直すことができ、レース前よりも成長したなという実感がある。2年前、当時の4年生(30代)が全員完走する姿を見て心打たれた。自分もいつか完走したいとずっと思っていた。もちろん先輩方には及ばないが、今ようやく同じスタートラインに立てた気がする。
また、僭越ながら100km走りたいと思う人にアドバイスをすると、
・週単位で1回の走る距離を長くしていく
・60km以降は気持ちで走る
・本番は10万歩以上走るので普段の練習から接地に気をつける。特に下り。
最後に仕切りのゆみさん始め、応援・サポートありがとうございました。皆さんがいなかったら本当に完走できませんでした。もう走りたくないけど行って良かったです。

名前:千葉    日付:2019/9/25(水) 15:10

投稿KEY設定したけどうまく編集できないので再投稿します。

タイム  12'58くらい
移動時間
11'37くらい

持ち物
小さいウエストポーチにカロリーメイト1袋、ストッパ下痢止め、携帯電話を入れた。
服装は七ヶ浜Tシャツにいつものランパン、カーフマンのアームガードと帽子、靴は厚めのNY GT2000 6を履いた。

スタート前
朝飯は即席みそ汁2杯とカロリーメイト1袋。
トイレに並ぶもトイレで籠城作戦を敢行する人間が多くスタート2分前にスタート位置に並んだためとんとらの人と写真を撮れずに出発してしまった。

0-20km
スタート直後にストッパ下痢止めを服用した。
20㎞までは練習で何度か走っていたので余裕を持って走ることができた。ここまでは意外といけそうだという感覚だった。
エイドごとに一口ずつシャリ、レモン、オレンジ、バナナ、スポドリを食べた。量を決めて食べることで、食べなさすぎたり、ハンガーノックすることを防いだ。
ペースは大体6'10/kmくらい。

-50km
登りの途中で巫女さんがコーラを配っていて、「巫女のコーラで、巫女ーラ」というギャグで頭がいっぱいになってしまった。多分限界が近かったんだと思います。
コーラはトラップだと神邑先輩が言っていたのを思い出し、コーラは避けて水分を補給した。ストッパ下痢止めを再度服用した。
長い山登りの後に急な下り坂で足を破壊されてしまったためここから着地のたびに足が痛くなった。怪我しないところまで走ろうと目標を下方修正した。
50㎞地点では上半身だけを着替え、曇っていたが気温は低くなかったので帽子とアームガードは置いてきた。
50kmマラソンの部がスタートしたのを見てからスタートした。

-77㎞
途中にマッサージを受けられるエイドがあったのでマッサージとテーピングを受けた。少し楽になったがテーピングは5㎞ではがれた。76.83㎞のエイドで歩いても足がかなり痛くなる。
この時点で残り時間が3時間12分、さらに23.17kmを走ると考えるとかなり辛くなったが77㎞走って辞めるのはもったいないという気持ちと、「100㎞完走しました。」とイキるために頑張ると決意した。
靴の中に小さな小石が入っているような痛みがあり靴を脱いだが何も入っていなかった。

-90㎞
このあたりで石原に追いついた。あと10㎞の時点で1時間36分あったので少しだけ歩けるなと思いながら走ったり歩いたりした。ペースは7'05/㎞
先ほどの小石の感覚がさらに大きくなり靴の中に5mmほどの小石が入っているような感覚があった。

-100㎞
アップダウンの続くコースを走っていたので途中何度か歩いた。ペースは7'10/㎞(走行時)と10'30/km(歩行時)。
途中97-98kmの区間で歩いていたらクリスタルランナーの方に話しかけられ、「このペースなら完走だね。」と言われたので安心して5分ほど談笑した後、クリスタルランナーの方は走っていった。
市街地に入ったときに5歳くらいの男の子がハイタッチしてきた。手が暖かくて、泣いてしまった。このとき、小石の痛みの感覚の正体が靴擦れであることに気付いた、時すでに遅し。
ゴールに600m手前で涙が止まらなくなってしまった。後からゴールした時の写真を見たらカイジみたいな泣き顔をしていた。

ゴール後の症状
猛烈な肩こり、のどの渇き、足の裏の痛み(右)、足のすねの痛み(右)
特にレース後はまともに歩けず、スタッフさんに車いすで救護室に運んでもらわなければ動けないほどだった。

総括
完走した感想ですが、100㎞マラソンを完走したことにより森羅万象に対して根拠のない自信に満ち溢れています。
また今回特に驚愕したのはストッパ下痢止めの効果です。13時間の長いレースの間腹痛に悩むことが一度もありませんでした。もし次回また長時間のレースに参加することがあったら使ってみようかと思います。
100㎞マラソンは2度とやりませんが。

応援の方に感謝を
今回エイドの途中で谷野、平岩、高木に何度か応援してもらった時の「意外と元気そう」とか「元気出てきたじゃないか」といった言葉に、「外から見たら意外といけそうなのか」と自己暗示をかけることもでき非常に励みになった。
レース後も車から宿まで背負ってもらったり、お菓子をごちそうしてもらったり、世話になりっぱなしで感謝しかありません。本当にありがとうございました。
また仕切りのゆみさんの宿のクオリティやレンタカー大臣の谷野氏の活躍にもこの場をお借りして感謝申し上げます。

名前:木元    日付:2019/9/28(土) 19:7

〇前日まで
冬場のデュアスロンシーズンで、広大の山田敦大くんに出会った時、100kmマラソン完走した上にデュアスロンも何戦もしていると聞いて、自分もできるかもと思ってしまった。そこが全ての始まり。しかし、インカレもあり100kmマラソン対策は出来ず、インカレ後も長いジョグは片手に収まる程度しかせず、全く完走のシナリオは描けなかった。まあ半分の50km走ったら終わりでいいかと思っていた。
そんな軽い意気込みで遠征に突入した訳だが、同じ配車で昨年完走した神邑さんの話を聞いていると、なんだかんだいけるんじゃないかという謎の自信を得た。
前日の食事は、当日の腹痛が怖かった上、エネルギーはその都度摂ればいいかということで、ご飯の量は普通に。

〇レース反省
6時間寝て3時起床。外に出ると半袖では肌寒いくらいで、ウィンブレを着て走るか迷ったが走れば暖かくなるだろうということで、半袖で。これは失敗だった。レースの作戦としては、人についていったり景色を見ずに半目で走ったりして、体力集中力の節約でいこうと考えていた。
・35km辺りまで
スタートして10kmまでは、長い100kmのアップとしてキロ6ペースで入った。その後、最初のエード(この大会では、エイドじゃなくてエードなんです)を過ぎたあとは、先に行ったヤッシー目指してペースアップ。目指すといっても景色見ない作戦の通り、半目で。35km地点まで4:30~5:15くらいで走りめちゃくちゃ人を抜いた。途中おじさんに「学習しないなぁ。これで後半潰れるんだぞ」とか言われて腹たったが、1時間差付けて勝ってやると思って無視して抜いた(フラグ)。35kmくらいのエードで、薫にヤッシーが前見えてたと教えてもらうが、トイレに行ったため見えなかった(結局ラストまでヤッシーは見えることは無かった。)
・50km過ぎまで(山区間)
身体は暖まると思っていたが、実際はペース緩いし長いしで、ずっと寒かった。寒さがお腹に来たのか、35kmくらいで恐れていた腹痛発生。しかも中間辺りに控える山突入+これまでのペースアップで脚が削れていて、圧倒的ペースダウン。半分も来てないのに歩き発動。無事フラグ回収である。お腹痛いし、脚きついしで、登りはほぼ歩き。下りもほぼ歩き。フルマラソン以上走ったわけだし、50kmでリタイアしようかと思った。腹痛もきつく、延々と続く歩きは携帯電話で音楽を流して紛らわせた。身に付けてきて良かった。この山区間でかなりの人に抜かれ、完走以外諦めた。サブ10ワンチャンとか考えていた昔の自分は甘すぎ。途中立ち寄ってくれた応援の人にも、ひどい姿を見せたと思う。何とか50km過ぎの山区間終わりのエードで応援からウィンブレを受け取り再出発。まだ半分もあると考えたら絶望しかなかったが、身体は暖まってきたので腹痛の恐怖からは解放された。
・80km辺りまで
腹痛が収まってからは淡々と走りたまに歩くの繰り返し。10回以上出場している青ゼッケンの人について行き、段々と100kmマラソンのコツが分かってきた。ゆっくりでも脚を止めてはいけない。脚の削れない自分のペースで、キロ6分台を淡々と刻むことが大事なんだと気付いた。そのあとは、歩きを減らして快調に走った。調子よかったので北緯40度の撮影ポイントは笑顔だったと思う。どこかのエードで先頭にいたはずの神邑さんと出会ったので、その後はお互いが目標となり、抜かし抜かされ。快調だったがじわじわ脚が削れ痛みも出てきて、どこまで持つかが心配だった。全歩き区間をなるべく後ろに持っていきたかった。
・ゴールまで
80km辺りからは脚がかなり痛くなり、1度足を止めると走り始めるのが苦痛だった。なので、気合いで足を止めない。キロ8~10ペース。これでも走ってる。身体が動かない。気力だけで次のエードを目指す。その繰り返し。
残り10kmのボードを見た時、どんなになっても絶対リタイアしない覚悟を決める。すると、キロ5~6ペースの青ゼッケンの女性が来て、最後だし付いていこうと思ってしまい、ついて行く。残念ながら残り6kmくらいで千切れてしまい、このペースアップで脚が完全にお亡くなりになった。両足痛すぎる。股関節が終わってて、ガニ股気味でしか歩けない。キロ13。周りの全ての人に抜かれていく。歩く方が足が痛いので走り出す。でももう脚をあげる筋肉は残っていないので、すり足にしかならない。走っても歩くランナーに抜かれていく。残り3kmの橋に来て、ゴールの市街地が見えた時は、思わず泣いてしまった。情けないくらい前に進まなくて、そんな俺でも時間的にゴールできる。キロ20より速ければ。それに、中途半端な練習で出て、レース中も何度もリタイアを考えたけど、辞めなくて良かった。100kmマラソンに出てよかった。そんな感じでひとり感極まってました。橋を過ぎると後は淡々と走り続けゴールへ。ゴールした時、涙は出ず、やっと終わったという解放感だけだった。そしてもう出ないと誓った。

〇終わってみて
今まで生きてきて、1番キツい運動だった。肉体的に搾り取らなければ完走出来なかった。しかも、レース中やレース後に涙が出たのは2年の七ヶ浜と3年のインカレだけで、まさか100kmマラソンでも涙が出るとは思わなかった。それくらい感動するし、完走すれば間違いなく後悔しない大会だと断言できる。しかしオススメは出来ない。自分も何かの間違いがない限り、今後一生出ないと思う。
応援の3人には、ホントにお世話になりました。アホなレースに付き合ってもらって、頭があがりません。とても助かりました。
加えて、ゆみさんにはこの遠征を準備して下さり、ありがとうございました。前後泊の宿のお陰で、万全の状態でレースに臨め、レース後の回復も早かったです。
来年は、後輩で出る人がもしいれば、行こうかなと思います(出るとは言っていない)

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