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とんスポ

第167号:

IRONMAN70.3 World Championship

2014 年 9月 20日 発行

9/7, Mont-Tremblant, Quebec/ Canada, IRONMAN70.3 World Championship が開催された。時差の影響もあってか、生まれて初めて一睡もできずにレース当日の朝を迎えることに…。朝の気温、なんと3℃。ホントにこんななかトライアスロンやるの?と思いつつ、不安の中レース準備を進める。スタート会場につくと湖は霧につつまれ、かろうじて手前2つのブイは見えるが奥のブイはまったく見えない状態。大変なレースになりそうだなと思っていたが、スタート時間が近づくにつれてだんだん霧も晴れていき、スタートセレモ二―が始まるころにはきれいな湖が姿を表した。思ったよりも低くない水温(那須塩原より少し低いくらい?)、IRONMAN特有のお祭りムードetc...で、自分が抱いていた不安も霧と共に吹き飛んでいった。セレモニーを終えて8:00にPro-Manのレースがスタート。スタートの合図はいつものようなホーンではなく花火と、なんと上空を通過する戦闘機!そんなところにも世界選手権のスケールの大きさを感じながら24分後のM18-24のスタートを待つ。8:20、前のウェーブがスタートし、遂に自分たちの番。M18-24はおよそ80人、こいつら本当に18歳から24歳かよと思いつつ、そんなかなでもどこかこれからの旅にわくわくしている自分に気が付いた。「練習はしっかり積んできた。体調は万全じゃないけど、朝飯はしっかり食えた。きっと大丈夫…。」そして8:24、花火の音を合図に、70.3マイル、およそ5時間におよぶ長い道のりがスタートした。

スイム序盤、意外と集団から離されることなくレースを進める。しかし300mほど泳ぐと少しずつバラけ始め、5、600mほど泳ぐと周りには数人の状態になっていた。まだまだ先は長い、焦らずすすむ。水がきれい。今まで泳いできたどんな海、川、湖とは比べ物にならないほどきれいな水だった。自分の腕、そして湖の底まではっきりと見える。朝日が湖に差し込み、黄金に輝く水、非常に幻想的な光景だった。いつまでも泳いでいたいと思ったのは初めてのことだった。それだけすばらしいコースであった。いつまでも泳いでいたいとは思ったものの、ずっと泳いでいることはレースなので叶わず(笑)、目標タイムよりはやくスイムアップ。スイムアップすると、しきりに "Come on! Come on!" と呼ばれる。なんだと思って近づくと、なんとウェットスーツを脱がせてくれた!海外のIRONMANはこれが一般的なのかと驚きつつトランジットへ。普段よりも落ち着いてトランジットすることを心がけ、Fibra Soxをはき、とんとらバイクジャージを羽織って、ヘルメットをかぶりバイクへと向かった。


バイクスタート。90km、獲得標高1000m越えの山岳コース、本大会に向けて最も準備してのぞんだ種目だった。海外選手はバイクがはやいという話は事前に聞いていたので、つられないようにあくまでマイペースに、いつもどおりパワーメーターと相談しながらの走りを心がけた。バイクコースはアメリカ大陸らしい広大な、そして美しいコースだった。10~15℃と肌寒い中でのバイクであったが、非常に気持ちの良いライドであり、「オレ、カナダ来てレースしているんだ」と一番思えた瞬間であった。しかし、多くの選手に抜かれたのは決して気分が良いものではなかった。男女問わず本当にたくさんの選手に抜かれた。日本のレースでこんなに抜かれることはまずない、というか今までのレースで抜かれた人数を足しても全く足りないくらいの人に抜かれたように思う。世界との差を最も痛感したのもバイク競技であった。そして前半は順調だったものの、練習の時と比べてワット数も上がらず、ハムストリングスの疲れが徐々に気になり始める。パワーバーなどの補給は順調に行えていたものの、パワーが戻らない。そしてラスト25kmの山岳への入口でほぼ力を使い切る。ここでこの坂が来るかという上りが何回も現れた。本当なら、この区間で他選手に対して追い込みをかけたかったのに…。もどかしい、悔しい、苦しい時間が続いた。しかし、ここまできて諦めるわけにはいかない、とにかくペダルを回しさえすれば進むのだから、残りの8kmは下り基調、そこまでがんばればなんとかなるはず、という思いでとにかくペダルをこいだ。なんとか登り区間をクリアし、来た道を下って、トランジットへ。目標タイムからはおよそ15分の遅れ、落ち着いてランシューに履き替え、最後のランへと進む。


ランスタート。10.55kmを2周回の21.1km、ハーフマラソンの距離。バイクでの疲れはどこへやら、前半はキロ4 ~キロ4'30ペースをキープ。バイクで多く抜かれた分を取り返すかの如く、多くの海外選手を抜くことができ、世界と戦えているように感じた。しかし、その時間が長く続くことはなく、身体に異変が現れ始める。今までに味わったことのないふわふわしたような足の感覚、しばらくすると手足の先にしびれも感じるようになる。1周目はなんとか持ったものの、2周目は本当につらいランであった。恥ずかしながら、何度か立ち止まってしまった。しかし周りにはちらほら同じように立ち止まったり歩いたりしている人の姿も見え、このコースの過酷さがうかがえた。辛いのは自分だけではないと気持ちを奮い立たせることが出来た。ここまできたら、ゴールしなければ何の意味もない、ただゴールするためだけに進んだ。距離が短くなるにつれて、だんだんと感動がこみ上げてくる。ラスト1km、24%の激坂を登る、ここだけはどんなに辛くても絶対に歩かないと決めていた。一歩一歩しっかりと走ってクリア、残り500mあとは下るだけ。どんなタイムであっても最後は笑顔でゴールしようと思っていた。慣れない異国の地に来て、憧れでしかなかった世界選手権という舞台を、オレは無事に走りきったのだ!中高と全く芽の出なかった自分が、大学に入って少しずつ結果を残し、遂にようやくこの場まで来たのだ!少し自分を誇らしく感じた。そしてあの時出来得る最高の笑顔とガッツポーズでフィニッシュラインを越えた。目標のタイムからはすでに30分以上遅れていた。しかし、ゴールできた喜びは今までのどんなレースよりも大きかった。

レース結果からすれば大負けのレースだった。すべての敗因は時差ボケに起因する体調不良。食べ物がのどを通らず、レース前2日間は嘔吐に見舞われた。体内に蓄積されたエネルギーは朝飯とバイク・ラン中の補給以外ほぼなかったのだ。当然と言えば当然の結果だったのかもしれない。世界で戦うためには内臓の強さが何よりも重要だと気づかされた今回の遠征であった。

かつてのIRONMANのスター、Paula Newbee Frazierが以前レース前のスピーチでこんなことを言ったそうだ。
「このレース会場に来れたみなさんは、既に勝者です。ここに来るまでに、どれだけの決断力が必要だったか、練習時間を確保するのにどれだけの努力をしたのか、旅費だって高額です。普通の人にはできないことをやろうと決めて、ここに来たのですから」
あの日は僕にとって、今までやってきたことのご褒美だったのだと思う。フィニッシュラインを越えた時、あの瞬間、自分は間違いなく勝者だった。IRONMANはチームのため、学校のため、ましてや国のために走るものではなく、ただ個人の名誉のために走るものなのだと感じた。もちろん、インカレで団体優勝するために走れること、それに貢献できることは何事にも変えられない素晴らしいことだ。しかし、IRONMANにはIRONMANの魅力があり、自らのゴール、自らの勝利に向けてフィニッシュラインに向かったこの経験は、私に大きな喜びをもたらしたこともまた紛れもない事実である。

しかし、時が経つとふと思ってしまう、欲が出てくるのだ。もう少しうまくできたんじゃないか、あの時もっといけたんじゃないかと…。今回の遠征は良くも悪くも「世界選手権」という名の「弱い自分との戦い」でしかなかったのだから。
夢だった世界の舞台から帰ってきて、これからまた多忙な日常が始まっていく。しかしいつかまたあの場に戻るために、次はもっと世界のIRONMAN達と闘えるように…。夢の続きを追って、これからも僕は歩き続ける。

最後に、この素晴らしい機会を得るために支えてくれた家族、OB・OGを含めたとんとらのみなさん、Protonや桂月堂グループの関係者のみなさんに感謝の言葉を伝えます。不安に押しつぶされそうになったあの眠れない夜に支えとなったのは、みなさんからの応援メッセージでした。本当にありがとうございました。

文責:水谷 淳

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