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選手反省集

​日本学生トライアスロン選手権

反省

名前:ひら    日付:2020/11/1(日) 22:54

DNF

当日
 前々日が4時間も寝れてないので、前日はぐっすり眠れた。しぶいのミサンガとみんなの寄せ書きを読んで胸アツ!だった。

スイム
 トップバッターで試泳ができたのはよかった。足場がぬるぬるだし、草めっちゃ生えてるし、とりあえず汚かった。石畳歩きにくかった。知らんかったら絶対転んでた。
 開始までも全然緊張はしてなくて、試泳した時にブイを近くに感じたので何とかなると思ってた。これがよくなかった。開始直後、バトルっぽいのは避けて1人で泳いだ。そしたら、ブイ全然近くないし、水汚いし、真っ直ぐ泳げないしで最後まで泳げる気がしなかった。帰りは比較的楽だったけど、すごく長く感じた。
 耳と頭がキンキンになりながらトランジした。

バイク
 5周逃げ切れば完走できると思ったので、遅そうな人はどんどん置いてった。2、3人抜いたところで1人ついてきたので一緒に回した。補給がちゃんとできたし、私的にはすごく上手にペダリングできた。
 カーブする度にぽんさんに借りたホイールがかっこよすぎて毎回テンション上がった。一周するたびに後ろから来てる先頭との差は縮まってたけど、逃げきれそうだった。5周目の橋を渡ったあたりで後続バイクの人たちにも逃げ切れるからがんばれ!って応援された。
 2つ目のカーブを曲がったあたりで急にバイクが出てきてカットされた。見てたらありえん速さの単走ゆいさんが通ってったので、納得。

反省
 OWSに慣れてなさすぎて、パニックになりかけたのが良くなかった。実際、プール以外で泳ぐのは2回目だったし、真っ直ぐ泳ぐのも下手だった。ウェット脱ぐのも遅かった。うまくドラれないからわが道をゆくスタイルも何とかしなきゃ。圧倒的経験不足。
 バイクに関しては、大満足!出場が決まってからめちゃめちゃローラーした甲斐があった。けど、まだ一ヶ月クオリティなのでもっと速くなります。

総括
 焦ってめちゃくちゃ練習しても何とかならないことを身をもって体感した。けど、練習していくうちにどんどん速くなるのが楽しかった。あんなに嫌いだった外乗りも吉武とか誘って積極的にいくようになったし、集団走もデュ練もみんなと回せるのが嬉しかった。練習に付き合ってくれた方々本当にありがとうございます。
 スイム短縮で、完走しなきゃ!と思ったし、後続バイクもいける!って言ってくれたのでカットされたのはめちゃくちゃ悔しかった。ほんとにあとちょっとだったのにー!!!けど、ゆいさん以外にカットされることはあり得ないと思ってたので、ちゃんとゆいさんが来てくれてよかった。違う人だったらゆいさん何してん!ってなるので。
 最後に、レース中ずっとタイムをとってくれてたマネージャーさん、レース前から全部お世話してくれたゆいさん、全力で応援してくれた皆さん本当にありがとうございました!!!
初めての大舞台を思いっきり楽しんでくることができました!
来年はゆいさんを追う側になります。


名前:石橋    日付:2020/11/2(月) 11:15

インカレ反省

Total 1:47:02(35)
Swim 11:52(112)
Bike 1:03:02(21)
Split 1:14:54(70)
Run 32:08(24)

◯インカレまで
スイムは2月に400m5'23、3月に1500m21'35の自己ベストをまぐれでなく出すも、スイムは4月以降は2週間泳げなかったりプール再開後も平均週2しか泳げなかったため結局400m5'30くらいの泳力で迎えた。
バイクは4,5月に約1000kmずつこいで(ほぼ外乗り)過去1のバイク力になった。(推定FTP255wくらい)しかしそれ以降は親知らず抜いたり、研究室の調査の行き来でこけてあばらを打撲か骨折したりで8月までは練習量が落ちた。(3種目とも)
ランは7月まではほぼjogでたまに3'50-4'00のペース走。9月からたまに1000mのレスト長めのインターバル3-5本も入れた。
また、当日が寒いことが予想され、寒さに弱いため体温維持のためにできるだけ意識して食事や水分の量を増やし、体重を重くしてレースを迎えた。(例年は51.8-52.5kgくらいなのが今年は54.6kg)

◯当日
アップは11:30に10分jog、12:20-12:33まで泳いで12:40にレーススタート。日差しが出ていたし気温が低くなかったので結局特別な寒さ対策なしでいった。入水チェックでも気にならなかった。

◯レース
前日のレースで低体温症になった人がいたためスイムが750m1周回になった。今回はシード選手を含むA組とスイムが遅めなB組に別れてレースが行われ、B組に出場した。
また、スタート前には佐山が去年より走れていないこと、柴田が帰ってきていないことを聞いていたため、自分が2番手でB組から3番手も出うると思っていた。
・スイム
スタートは内側2列目で、とんとらで固まってスタートした。本当は400mを4'40より速く泳げる人を3人くらい確認していたためその後ろからスタートしたかったが探せなかったのと、移動が遅かったためさらに後方に追いやられるのを避けるため移動しなかった。すると、スタート直後、前は泳力の近いとんとらのためスペースができず、待ってたら後ろから人が押し寄せ潰された。その後150mくらいぐちゃぐちゃでのどに冷たい水が入ったときに呼吸ができなくなり立ち泳ぎした。5人くらい抜かされたが、呼吸を整えながら回りを見ると前も横も大混雑で、後ろもたくさんいた。これはどうせ1パックになるし、ここで頑張ってもブイで混雑すると思い往路は人とぶつからないようにタラタラ泳いだ。復路に入ると混雑を避けて単泳で泳ぎ、2パック抜かしてスイムアップ。練習で自分より遅い北條と同時だったが、バイク一緒にこぐ想定をしていたため、スタート失敗したわりには上手くまとめたと思った。

・T1
衛と櫻庭をトランジで見つけ、自分の存在を伝えた。

・バイク
バイクで頼りになる衛と櫻庭が前に見える位置で乗車し、前に2人いたためそこにまず追い付き、北條もくるはずなので少し待ったが北條が来なかった。そのため待ってくれてるかもしれないから衛たちを少し追った。しかし一緒にいた2人が自分よりバイクが弱かったため無理かもなあと思ったころ、橋の一番高い真ん中で前に衛たち、後ろに20人くらいの大集団が見えたため後ろを待つことにした。この後は大集団で先頭の日体本多以外は全員回収した。結局40人くらいいたのだが、幹部のインカレで中切れにあい、レースが台無しになったのがトラウマで、パックの前から1/3くらいに居続けて積極的に前に出た。A組よりスイムアップが遅いため、団体順位を押し上げるためにはバイクでスイムの遅れを取り戻す必要があった。そのため前に出たときに巡行速度を落とす人には、後ろにいていいから前出れないなら出るなと言ったが、それでも度々速度が落ちることがあって困った。降車前に木元と衛が前に出たがタイミングが少し早かったため、前に4人くらいいかせて右側にいたら後輩たちが後ろにいてくれたためそれ以上は後ろから人が来ず、おそらく前から6人目くらいで降車できた。(後輩たちに感謝)

・T2
靴下はいてたら木元と衛から10秒くらい遅れたが、いつもはいているし靴擦れで10秒以上ロスしたら嫌なのではいた。

・ラン
一言でいうと激遅だった。バイク中は楽だと思って前の方に居続けたがランに入ったら呼吸は大丈夫だけど下半身が動かなかった。1周目の折り返しで衛といっしょで、衛が3番手だとわかっていたので自分が遅いことを伝えた。結局2周目入りで衛と10秒くらいしか離れていなかった。応援からは佐山とラン入りほぼ同じで、佐山に勝てる可能性があるといろんなところで伝えてもらったし、必要なタイムも走れる可能性があるタイムだったし、勝ちたかったが、脚が動かなかった。

◯全体
個人としては、スイムダメよりの無難、バイク前出すぎ、結果ランくそという感じだった。B組1位を目標にしていて、目標のランのタイムで走れたら2か3位だったが6位だった。全体でも去年より3つ順位の悪い35位だった。
バイクは中切れが起きても復帰できるくらいの最大パワーがあり、かつそれに近いパワーを出してもちぎれない力があればもっと前に出なくてもすみ、ランに脚をためられたと思う。
勝負を決めるランは、この程度の脚だったら後半5kmなら無理矢理動かせることがあったのにできなかった。考えられる原因は、例年は行っていた、バイク練後のペース走(3'40くらい8-10km)や観音(4'00から最後3'50くらい)を行っていなかったことが考えられる。

そして、肝心の団体順位は3位とは約5分半差でそれどころか6位とも約2分半差の8位だった。この結果は正直レース前の想定より悪かったが、リザルトと自分達の今回のパフォーマンスを見比べると妥当だと思った。つまり練習が足りてないし結果実力が足りていなかった。


応援していただいた部員やOBOGの方、ご家族の方、ありがとうございました。
部員やOBOGの方でメッセージかいてくださった方、ありがとうございました。前日寝る前に時には笑いながら楽しんで読ませてもらいました。壮行会なかったんでこの場をお借りしてありがとうございました。
バイク中、特に降車のとき自分のレースもある中でサポートしてくれた後輩たちもありがとう。走れなくてごめんなさい。結ちゃんは個人5位入賞おめでとう、だけどまだ上いけるよね!と勝手に思ってるんで、来年に期待してます。
幹部のみなさん、特に運営のみなさん、イレギュラーな年で大変だったと思うけど無事終わってよかったです。お疲れ様でした。ありがとうございました。


名前:田中聡    日付:2020/11/2(月) 14:30

みなさま応援ありがとうございました
はじめに、当日エントリー遅れで15秒ペナルティを貰ってしまい申し訳ございません。“面白い”と思い、ゼッケンの裏に”打倒石橋”と書いている間に、受付は終わっていました。
目に見えない1秒を削り出すために、遠征を円滑に進めたり、応援配置を工夫したりして頂いている中、このような形でその努力を踏みにじるようなことはあってはならず、反省しております。
//田中君はよく受付をスキップしますが、トライアスリートとしては最低です。〆切は必ず守ってください。(JUTU)(仮)

レースまで
なんとなく練習を続けていた。自粛期間初期は人に会いたくてよくバイク練にいった。院試勉強期間や研究室生活が始まると、あまり練習しなくなってしまった。生活スタイルが変わると、練習時間が確保し辛くなるけれど、やはり早く慣れてうまい時間の使い方を見つける必要があるな、とゆうしくんとインカレの帰りに話した。
ゆうし : 練習もしなきゃだ↓め↑だあ

スイム:過去最悪に練習できていなかった。400mも5分を切れなかったから泳力が落ちていることは明らかだった。くりやまくんmenuが再開してからも、Bコースの練習もろくにこなせず、迷惑をかけていた。オープンウォータースイム相変わらず下手で、オワタ(●´ω`●)レース1ヶ月前に高橋さんのOWS講習会があり、そこでも腕を使ってすぐバテてしまい、絶い。ちょうどオンラインスイムコーチなどをしていて、よく人に泳ぎの指導をしていたので、どうしたらいいかはわかっていた。2週間前に、泳ぎ方がわかって、あとは泳ぎ込みはせずに、脇の下だけを意識してオープンウォーター用の泳ぎを身体に擦り込んだ。

バイク: とりま集団走やデュアスロン練メインで間に合わせた。いわゆるインターバル系に強くなっただけで、巡航性能などバイクの自力は上がっていない。FTP20WDOWNたぶん)

ラン: 石橋、柴田、高井と一緒に練習させられた、須賀に。チーム名は”勝つーず”(理由は、勝ちたいから)(勝ちたい理由は、勝つと嬉しい)
いつもペースを僕に合わせてくれていた。(メンタルブレイク)それでもラン練は毎回覚悟を決めてからスタートしていた。(ケニア式)勝つーずのグループLINEは自治会長のおかけでピリピリしている割に割とバラバラで統率が取れていなかった。(お互い生活リズムが違った)そこでよく、”何時にしますか?”と送ってくれた高井コップンカップ。(集まらない)(アンクルブレイク)(田中君はラン練をよくスキップしますが…by衛)

コンディショニング
自粛期間や研究室生活で、自分で自分の機嫌を取る方法あった。
美味しいご飯!(特に美味しい)(ニンニク)
レース1週間前からカフェインカット(なんとなく)
レース1週間前に鰻重、二郎(高井が作った)、横横家(レッド食い)
レース前日の丸満餃子にはニンニクを詰めて食べた(口の中が二郎)
レース当日魔剤(五臓六腑)2時間前まで固形物食べて、入水チェック前にゼリー
コンディショニングは90点(1週間前に6キロペーランすべきだった)
アップ
バイク2周(カーブ箇所、降車前にバイクシューズ脱ぐタイミング確認)
ランほぼやんなかった
T1のイメトレ(バイクの場所を確認するだけではだめで、実際のトランジの向きからの景色も確認して、迷わないようにする)
スイム(ちょっとスピード出して、ヘッドアップでちゃんとブイが見えるか?)

レース
スイム750m: 800mまでならまだもつ(OB戦調べ)B ウェーブなので、初め100 mくらいスプリントしてバトルを避けれた(バトル0だった)往路みんな左側に膨れてるのをみて素直に興奮した。(俺は、マッスグマ!)復路も早めにブイを見つけて蛇行せずに泳いだ(21年ぶり二度目)その後の展開的に無駄ではあったが、うまく泳げたと思う

T1: みんなのバイクがまだあって安心(especially FELT)バイク押してる時、衛のスイムアップのアナウンス(i FELT, 時間の問題)

バイク:前日に順天から聞いたスイマーの高木君や、スイムチェックで挨拶した三友君と5人パックくらい作った(山があたった)よく声を出して平和に回した。
2か3周目 高木 : 後ろ30! 朕: 秒? 高木: にん
合流し、北條 : 全員集合!(ドリフターズ?)
回す必要はないけど、落車や中切がこわいので前半分で回し、意外と消耗した。パックの中ではチームは固まらず、バラバラになった方が、間に入れてくれたり、立ち回りがうまくいくと思った。(降車前ムロが入れてくれた)

T2: 二度目のトランジ。

ラン : ラン入りバシタロウの背中は遠ざからなかったが、自分は15秒間ピットイン。その後2キロでバテてしまった。ペーラン域の練習をもっと積むべきだった。なんどか立て直したが、持たなかった。後半、僕の靴(ウェーブエンペラー)を見て、紫すげえって言われて嬉しかった。

ばっしーさんに負けた、衛に負けた(つまり春海さんにも負けた)他大にも負けてしまった!(弱いチーム)悔しいと思います。みんなたち、だから、また練習一緒にやってほしいです!

34代、33代幹部のときも含めると2年間コップンカップ大変な1年間だったと思いますが、(去年も)
こうして来年に繋げられたのは34代が練習を復活させるために画策をしてくれたからですねみんなありがとう!
35代はスイム練と新歓頑張ってほしいと思います。そしてちゃんと競技で下克上してください。みんな期待しています。参考になるのはまもるくんの4年間のウェブダイアリーだと思います。(ガリ勉部)

P.S. ばしたろうと衛へ団体メンバーおめでとう!ODを想定したレースで来年の良いイメージができたんじゃないかな。ODのインカレでもそろそろ僕に勝てるんじゃないかなって本気で思ってます。僕はいつでもウェルカムです。


名前:栗山    日付:2020/11/2(月) 13:14

swim 10:22(58)
bike 1:04:27(91)
split 1:14:49(65)
run 38:42(125)
total 1:53:31(101)

レース前
8月末から2ヶ月間まじめに練習に取り組もうと思い、ランを中心に練習した。9月中はかなり良い感じに練習に取り組めていたとは思うが、練習中にバイクのフォークが破損するというアクシデントがあり、バイクのフレームを買い替えた。それの整備が思いのほか長引いてしまい、最終的にバイクが手元に戻ってきたのが大会1週間前になってしまったため10月中はほとんどバイクに乗れなかった。これが今回の結果の1番の要因であったと思う。また、10月中旬にオーバーワークでシンスプリントが再発してしまい、ランも練習ができなくなってしまったことも悔やまれる。そうしたことがあって正直かなりモチベーションが低いままレースを迎えることとなってしまった。まことに申し訳ございません。

スイム
今回は水温が低いためスイムの距離が短くなってしまったが、正直早くレースが終わるならそれはそれで良いなとか舐めたことを考えていた。
スタート位置は内側の3列目あたりだった。スタート直後、真後ろの選手が明らかにわざと足を掴んできたのがうざかった。ペースを上げるのは良くないと思い、横に避けた。昨年と異なりそこまで激しいバトルはなかったものの、水温が低いためか、うまく呼吸ができず計5回ほど立ち泳ぎして止まってしまった。ホットクリームの効果よりもロングジョンの保温性のなさの方が上回っていたようだ。全然体が温まることなくスイムが終わってしまったので、スイムに関しては不完全燃焼といった感じだった。

トランジット1
陽久が20秒前で広大の中山もその辺にいるということを聞いた。陽久とトランジットで差を詰めるのは厳しいなと思ったが、おそらく佐山さんとゲンさんよりは先に上がれたようなので一緒に前を追う展開になると考えた。ただ、ウェットスーツを脱ぐのが遅く、またバイクの乗り出しも遅かったのでバイク入り直後に佐山さんには先に行かれてしまった。

バイク
最初の90度の直線に入る前にゲンさんと自分含めて5人のパックになった。最初は普通にローテーションを回していたが、練習不足のせいか想像以上にバイクがきつかった。途中で1人がいなくなって4人になったが、自分以外のゲンさんと他の2人が積極的に引いてくれてありがたかった。橋のあたりで佐山さんのパックに追いついた。またそれと同時に後ろのパックに追いつかれたので3パックが合体した。このパックが信じられないくらい速かった。最初はローテーションに参加したが、順天堂の橋本さんなどのバイク力のある人の次に先頭交代するのにかなり手間取ってしまいパックの人に怒られた。途中佐山さんに冷静なれと言われたので冷静になって考えたら自分が引いても意味ないなと思ったので後ろで休むことにした。ただ、それでもかなりキツかった。特に立ち上がりでは90度ターンといえど千切れるかもしれないと感じたこともあったが、なんとかついて行った。一緒に後ろに張り付いていた選手と励まし合ったりして元気をもらえたのも大きい。最終的にあと2つパックを吸収し、最後のパックには陽久と中山もいた。会えたのは嬉しいが、こんなにも離れていたということに衝撃を受けた。そのまま集団の後方でバイクを終えた。

トランジット2
人がかなり密集していて危ないなと思ったら陽久が転倒した。自分も気をつけないといけないなと思ったので、速度を落としてからバイクを降りた。バイクで足を使いすぎたのか、トランジエリア内を走るだけでも足がキツかった。バイクを置き、シューズを履こうとするも焦ってかなり履くのが遅かった。

ラン
肺は全くキツくなく、足も最初は動いた。ゲンさんを最初の方に抜き、陽久が見えたので、追いつくまではペースを上げようと思った。徐々に差が詰まっていたので折り返しあたりで追いつけると思ったのだが、足が攣って止まってしまい、そこから一気に失速してしまった。そこから先は少し進んで止まって足を伸ばすのを何回かした。そこから先はもうつらくてやめたいとしか思えなかった。自分がブラックランを今までそれなりに走れていたのはバイク練をしていたおかげだったのだということに気づいた。2週目は足の痙攣も治ったので普通に走れたが、そこまで追い込むことができなったのでタイムは良くなかった。

まとめ
今までやったレースの中でもトップレベルに酷いレースだった。ただ何か改善できた点があったかといえばレースの内容に関しては特にはないと思う。部活の活動停止中にとくに練習をせず、10月中に陸種目に取り組めていなかった時点でうまく調整をしたところで似たような結果に終わっていたと思う。自分よりも実力があるにも関わらずインカレに出れなかった人もいるのにこのような姿を見せてしまって本当に申し訳ございません。
本当は今年それなりの結果を出したらもうトライアスロンはやめるつもりだったが、この結果で終わるのはあまりにも情けないのでとりあえずデュアスロンに向けて練習継続しようと思う。もし来年のインカレに出ることができるのであればそこで今年のリベンジをしたい。
昨年、33代が団体3位という結果を残してくれたのに34代はそれを良い形で引き継ぐことができませんでした。だからこそ、全て任せる形にはなってしまうけれども、35代にはどうかまた強い東北大を取り戻して欲しいです、お願いします。
最後に、応援、ご支援してくださった皆様、並びに大会を開催してくださった関係者の皆様、大変ありがとうございました。
そして、34代のみんな今までありがとう。


名前:石川原    日付:2020/11/2(月) 22:27

インカレ

Total:1:51:40(85)
Swim:10:33(64) ※750m
Bike:1:04:13(79)
Run:36:54(106)

 インカレの2週間前から胃腸の調子が悪く体重も2kg近く減ったため,練習は最小限にとどめ,残り1週間は刺激入れのみ行った.その結果当日までには回復した.調子についてはスイムまずまず,バイクラン良好といった感じであった.

Swim
 中央のブイから2,3番目の位置でスタート.序盤は泳力のある選手たちに付いていった結果,スムーズにスタートできた.300m泳いだあたりから徐々に前の集団から離されてしまったため単泳.時折抜かしてきた選手にくっ付き,蛇行することなくスイムを終えた.速くも遅くもなく今の泳力通りのタイムが出たと思う.もし短縮されず1500mだったら,Bike,Runは終了していたと思う.

Transit
 今までのレースの中で一番遅くて酷いトランジット.ゼッケンベルトはつかず,ヘルメットは落とし,スイムアップが10秒ほど遅かった佐山に追いつかれただけでなく,佐山の「行きますよ」の声掛けに応えることができずついていけなかった.

Bike
 乗車後,栗山と他大2,3人で集団を組んだ.1,2周目は前にいる佐山のパックと合流することに全力を注いだため,する予定だった補給もできず胃が痛すぎたため補給を断念.他大の選手に助けられながらなんとか合流し8,9人の集団を組むことができた.4周目?にもう一つ前のパックを回収したと同時に後ろのパックが追いつき大集団を形成した.その後は足を休めるため途中サボっていたが,楽しすぎてローテーションに想定以上に加わってしまった.後のランに響いた.最終周陽久のいるパックに追いついて降車.

Transit
 特になし

Run
 前述の通り調子に乗ったため,足が吊りそうな状態でスタート.足が吊ったら終了なので吊りそうになったら抑え,回復したらスピードを上げるの繰返しで走った.バイクで足を使いすぎたため4分/km切りもできず,最後はもがいてゴール.

まとめ
 インカレ選手として不甲斐ない結果に終わったが,今出せる最も良いタイムを出せたため,個人的には満足の結果であった.しかしながら,序盤前のパックを追う前に,後ろにいたバイクの速いパックを待ってから追いつく方が,足を使わずに済みもう少し走れたかもしれない.そしてもう少しローテーションをサボるべきだった.

 大学院生になりほとんど部活に顔を出さなくなりましたが,インカレに出場することを決めてから再び部活に参加し始めた私を受け入れてくださった後輩の皆様,本当にありがとうございました.心の弱い私にとってチームで練習することは私の心の支えになりました.また,レース中応援してくださったおかげで,最後まで走り切ることができました.後輩の皆さんの支えがなかったら,ここまで満足のいくレースにならなかったと思います.これからはOBとして皆さんを陰ながら支えていけたらなと思います.皆さんのこれからのより一層のご活躍を期待しております.
 最後に,ウェットスーツを貸してくれた須賀君,ヘルメットを貸してくださった池谷さん,ありがとうございました.そして大会を開催してくださった学連の皆様,遠征を支えてくださった運営の皆様,応援してくださったすべての皆様,本当にありがとうございました.この場を借りてお礼申し上げます.

P.S.来年七ヶ浜があって元気があったらエントリーして皆さんをボコボコにしたいと思います.その際は宜しくお願いします.


名前:山本衛    日付:2020/11/2(月) 18:8

total 1:47:40 (43)
swim 11:30(95)
bike 1:03:15(29)
run 32:55(37)

レースまで
5月頃から院試勉強にハマってしまい、月木の国見以外の練習を全くしなくなってしまった。体重も69キロまで増えて体がまるでムーミンみたいになってた。当然インカレに出るつもりなど全くなかったが、エントリー当日に室岡にのせられまんまとエントリーしてしまった。選ばれた人しか出られない大会だし、幹部でもないのに出るからには部に貢献出来そうな実力まで戻らなそうならやめようと思っていた。
結局9月から練習を再開した。最初はキロ6:30のジョグでも辛く、同じランチームの櫻庭には迷惑をかけた。文句を言わずに一緒に練習してくれてありがとう。バイクは以前ー30Wでしかテンポ走出来なかった。スイムは練習量がない割には遅くなかった。
最初の1ヶ月ランはほぼジョグ、バイクは外乗りとテンポ走しかしなかった。残りの1ヶ月で部のポイント練をやりつつほぼ毎日ジョグをした。10月は200キロぐらい走ったと思う
後半ランは仕上がってきてベストと同じぐらい、バイクはベスト-15W(FTP)くらい(耐え)、スイムはベスト+10秒(400m)(耐え)くらいだった。結局、ばっしーさんを前に連れてくとかほかにもなにかやれることはあると思いエントリーした。
いつものように、2週間前から1週間前までリカバリー週、1週間前から当日までは刺激を短めに入れ疲労がたまらないようにした。

レース前
レース中にお腹すいたことは無かったのであまり食べずにモルテンをちびちび飲んで毛布にくるまりながら休んでた。スイム短縮を聞いてマラソン大会を覚悟した。
直前にアップしたかったので無理言って高井くんの自転車を借りて10分くらいローラーした。ありがとう。ランもジョグを1.5キロくらいした。入水チェックは15分くらいした。

スイム
いつも右側を行くので右側のコースロープ沿いを選んだ。何故か流れで先頭になってしまったが、これは失敗だった。
スタートして少しスプリントしたら、集団が真ん中の人に寄せられてコースロープ沿いの人がいなくなり、1人になってしまった。呼吸も右なので左に行くのが怖くて右のコースロープ沿いを1人で泳いでいた。正直腕の沈み具合で調子があまり良くないことを悟った。折り返しで、大集団が後ろに見えたのでバイク強い人と上がれなかったらこれに追いつかれてランまで行くレースプランに切り替えた。
後半になってからは調子が上がってきて上手く泳げたと思う。すこしまえに見えてた人達に追いついてスイムアップした。結果はめちゃ遅だった

ave1:33

T1
櫻庭が少し前にいて驚いたが、自分のイメージ通りにできた。後から来たばっしーさんにこえをかけられたが、待つには少し離れすぎていると思い置いていった。

バイク
同時に乗った1人にお願いして、乗車が遅い櫻庭を待った。その後ろを見たが、ばっしーさんが見えなかったので3人で回して前を追いかけた。1周目に室岡たちのパックを回収し、2周目に前の集団においつくところで後ろの巨大集団が見えたので後ろを待つことにした。後ろが追いついて来てからはもう訳分からん人の多さで怖かった。立ち上がり後ろになるのが嫌だったのでタイミングを見て加速レーンに半ば無理やり入ったり、とんとらの人に入れてもらったりした。前を引く時は400W以上後ろは180~200Wみたいな感じだった。足が止まる時もよくあった。木元、ばっしーさん、たなそうがいたのでこれは勝てないかなーとおもいながら漕いでいた。他大でもはしゃいでる人が複数いたが絶対に無理に脚を使わないように徹底した。降車前に木元が強く引いたタイミングで集団が縦になってしまった。降車の位置取りが最悪になるのを避けるために頑張って前に出て、ちょっと最後にローテーションがあったものの集団5番ぐらいで降車。
てか、とんとらがみんな先頭交代に加わってておぢさん感動してしまいました。やるぢゃん!

ave210W
NP230W
(アンハッピーメーター)

T2
木元とばっしーさんのバイク持ちながら走るのが速すぎ問題。けど集団2番手でラン入りできた。めっちゃでかい

ラン
走り出しから快調だった。飛ばし過ぎには注意して気持ち抑え目で入った。後ろから来たきもとに抜かされたが、速度差があまり無かったのでついて行った。少ししてばっしーさんに抜かされたがこれもあまり速度差がなくついて行くことが出来た。折り返しでばっしーさんからやばいかもと言われた。その後は徐々に離されたが、常に背中が見えていたので目安に頑張ることが出来た。
恥ずかしいことに、1周目と2周目の折り返しまでは団体メンバーになることしか考えてなくて木元との差ばかり気にしていた。折り返して木元やたなそうとの差が開いてるのをみて、ようやく自分が団体順位に関わってる実感を持った。敵は直接見えないので自分との戦いだった。足はキツくなかったことは覚えてるがどこがきつかったか、分からなかった。けどとにかくきつかった。等間隔に散らばってる応援が本当にありがたかった。次の応援の人まで頑張ろうと集中できたし、全力だしきれたと思う。

ave3:36
生足でも走れない気がする。恐らく海パイに貰ったトライスーツをきたからだと思われる。

まとめ
ゴールした直後は、素直に団体メンバーになれたことが嬉しかった。けど、順位を聞いて絶望した。8位。目標の3位まで5分以上ある。自分の実力をだしきれたと思っていた。たしかに、43位で団体メンバーになれたのは運がいいだけだ。
でも、自分がいなかったら団体の順位が2つ落ちているので自分がいた意味もあったのかなとも思っています。
このままだと来年も出たくなってしまうのだろう。そして再来年も。ばっしーさんとかたなそうとか木元とか特に成仏してないと思うので、来年は35代と共にいい結果を残して、成仏できるように1年間頑張ろう

最後に(最後じゃなかった)応援本当にありがとうございました。走ってる途中はみんなの姿、声を探していました。
1人1人の応援の言葉全部聞こえた自信があるし、本当に力になりました。ありがとうございました。

来年も、成仏しきれない先輩や同期、実力を出し切れなかった後輩、実力をつけて初めて出る後輩とインカレに出ることを楽しみにしてます。

思ってることを全部書いたのでぜんぜんまとまってませんごめんなさい


名前:たけだゆい    日付:2020/11/2(月) 19:59

大会運営にご尽力頂いた皆様に感謝します。
ありがとうございます。
2020インカレ
リザルト
スイム 10:12(6)
バイク 1:10:50(1)
ラン 36:05(6)
トータル 1:57:07(5)

前日まで
2週間前のU23の後の疲労抜きに失敗し、1週間前の土日に疲労がマックスだった。やばいと思い、そこからは本当にちょびちょびと動き、疲労を抜いた。
U23でサムサの脅威を実感したため、シューズカバーとかカイロなど、しっかり準備した。当日は極寒ではなかったが、とても身構えていた分、心に余裕ができよかった。
色紙もらって、多くの人が私のレースを楽しみにしてるって書いてくれて、不安もあったけどワクワクした。メッセージありがとうございます!

レースプラン
バイクで全回収、ぜひ2~3人(流経杉原さん日体いずみちゃんあたり)で逃げたい、(法政まあやさんを置いていきたい)。
スイムミスって先頭までいけなかったら勝負はおしまい

当日
レースの時間が早かったので宿でローラーを済ませた。
スイム短縮、バイクちょい長、ラン9kmという変更でちょっと高まった。ラッキー!!
アッキーさんから頂いたホットジェルを塗り、ワセリンを塗り、靴下を履いて入水チェックに向かった。
体動きそうな感じだったので入水チェックは冷たさを確認するだけにした。冷たいとは思わなかったので色々塗りたくってよかった!

スイム
例年ならシード以外も名前呼ばれていたのに今年は呼ばれなくて焦ったが、杉原さんマークで前を陣取れた。今年も他人のスイムキャップの色を覚えた。
あまり緊張する訳でもなく、サラっとスタート、したはずだったけど、予想以上のバトルで潰され完全に出遅れた。どうなってんの⁉と思って状況確認のためにひとかき平泳ぎして前見たら、既に20人くらいが前にいて、「あ~おわった~」てなった。淡々と抜かすしかないと思い、コースロープの横まで人を越えていき、淡々タイムした。往路半分くらいで「白キャップ55番」(まあやさんだと思われる人)に追いつき、やっぱ前いるよね~と思った。(違ったらゴメンナサイ)バレてドラられたら嫌なので、さりげなく抜き去ったつもり。スイムの実力がついていたのか、折り返しまでに結構抜いて、10番ぐらいになった。折り返しも、内ラインとって、失礼しま~すした。その後は、マークしてた杉原さんとか立命中山ななみちゃんなどにひっつき虫して帰ってきた。ちゃんと狙い通りの人たちと一緒にスイムアップできたし、なんなら帰り道はドラったお陰でだいぶ楽だった。久しぶりに「やめたい」と思わなかったスイムができ、喜んでいた。
コンクリランで1人抜かしながら深呼吸した。

トランジ
U23のカストランジを反省してとくに集中した。ウェット脱ぐのも、久しぶりのゼッケンベルトも時間がかかった。
YouTube見直したらここでまあやさんにしっかり追いつかれていた。
飛び乗りと漕ぎ出しの記憶が丸々無い。

バイク
先頭いずみちゃんは20秒前だった。
どうやって集団になったのか全然覚えてないけど、とりあえず7人集団になった。いずみちゃんが待っていたので、8人で先頭パックになった。
メンツをみて、4周目あたりで予定通り杉原さん、いずみちゃんと抜けられたらいいなと考えていた。集団の皆さんのローテは流石に上手で、回しやすかった。前半はスイムで少し冷えた体を温めながらお行儀よく集団走しつつ、ランナーさんの足を削ろう運動をした。いずみちゃんと共謀して加減速大きくしたり、減速レーンで長めに先頭にいるなどした。ローテの順番も意識して、バイク強者を固めるよう順番を譲ったりもした。いろいろ考えながら走れた。4周目1つ目のコーナー、いずみちゃんとか杉原さんに「いきましょ」と声をかけた。先頭で曲がり、ガン踏みしたが、後ろが続かなくて、そのまま行くか行かないか迷った。あと2.5周単走は自分の足がいっちゃうと思ったので、やめて待った。この後どうしようかと考えて、自分の足に聞いたら私も久しぶりの40kmでキテるので、1周だけなら踏めるって教えてくれたから、最終周(6周目)の1つ目のコーナーで1人逃げしよーと決めた。ランの直前にエンジンあげるの怖かったけど、やるしか無いなーと思った。4周目のガン踏みが他の選手にも効いたようで、5周目は全体的に速度が落ちたように感じた。最終周にむけてお行儀よく集団走して休んだ。結局ここまで集団で来ちゃったので、悲しいけど3位以内は諦めた。
6周目、なんかドキドキした。先走ってコーナー手前からスピードあげちゃって、行きますよー感出しちゃったのは反省。恩恵あげないために後ろに5mくらいの空間あける+ラインをずらしてコーナーに入った。そこから頑張って踏んだ。真後ろがいずみちゃん・杉原さん以外だった思うので、余計千切りやすかった感じがした。橋の上で頭下げたまま脇の下から後ろ見て確認したが、追われる気配がなかったので、良かった、と思い、最後頑張ろ!と気を引き締めた。2回目のコーナーは自分的にめちゃウマで、2,3km/hぐらいしか速度落ちなかった。平のことを思い出し、複雑な思いになりながら単走した。結局会っちゃって、ゴメン!!て思いながら通過した。表彰台乗るためにも、オーディエンスを楽しませるためにも、逃げられて良かった!正直足はしっかりキテいた。40kmなげー!
NP 231w

トランジ
1人だったので逆に落ち着けて、うまくいった気がする。靴下履いて、ガーミン拾って、スタート!!

ラン
後ろ30秒!というアナウンスがあり、逃げ切れはしないけど、表彰台は取らないとだめだ!と思った。もともとバイク降りた直後、スピード出ちゃう体質で、本当にスピード出過ぎた。深呼吸して適正ペースに戻して淡々と走るようにした。3:50~55/km往路で4人に抜かれて、実力足りないし仕方ない、と思ったけど、これ以上は抜かれてはならない!という気持ちだった。もう既に太ももは表も裏も攣りそうだった。堪えながら淡々と…。池谷さんの「ゆ~~~い~~~」で笑っちゃったしとても元気が出た。
2周目も同じ感じで走った。足が動かなくなってきて体幹もグネグネでペース落ちて、これがトライアスロンだなぁと思いながら、腕振りと気力で走った。ラストは沢山の応援に包まれてとても幸せだった。
ガーミンでは9kmだけど…アベレージ3:57/kmで、ODレースで始めてキロ4切って走れたので、嬉しかった。何よりそれが嬉しかったかも!

まとめ
夏に、幹部なのに、気持ちが中断してしまい国見は行くけど、ゆるーく外乗り・ジョグ…という感じだった。9月から切り替えて再始動し、どうなることかと怖い気持ちもずっと抱えてはいたが、表彰台入らないとな~と臨んだ3年目のインカレ、そこは有言実行できて、安心している。あわよくば3位!とか思っていたけれど、それは当たり前に練習・実力不足。悔しい!!去年みたいに、同じ集団の人が潰れるって事があまりなかったので、バイク中いろいろ考えた割には甘かったのかと思える。来年への課題。

私がとんとらのためにできることは、男子ほど明確じゃなくて(実はそこにずっと寂しさみたいなのは感じてたけど)、バイクで盛り上げたり(飽きたなんて言わないで)、いい順位でみんなを元気づける(元気でるのかな笑)ことぐらいしかないけれど、それでもその仕事はこれからも全うできたらいいなと思う。

運営の皆さん、過密でギリギリで大変な大会でしたが、遠征やり切ってくれてありがとうございました。応援して下さった全ての方、いつも本当にありがとうございます。応援の皆さんのお陰でニコニコできます!!来年は逃げ切れるくらいの走力つけてきます!スイムも足りないんでした。やること一杯ですね!まだまだ楽しいトライアスロン!

34代のみんなへ
33代や35代みたいな可愛い仲良しさは持ち合わせてないけど、それぞれバランスとってやってこれて、本当に良かったです。代写真とかめちゃいい感じじゃん!!ね!!練習いくよね?圧です。
亜紀ちゃんもヒカピも、ずっと支えてくれてほんと心強かった!
みんなありがとう!!!

平、これからもがんばろね!!!
おとしがきよんで泣いちゃいそうだった!

実は来週もレースあるので、応援よろしくお願いします。求む急速回復!!


名前:柴田和樹    日付:2020/11/3(火) 14:28

swim 0:09:16(16)
bike 1:03:38(43)
split 1:12:54(17)
run 0:42:27(147)
total 1:55:21(116)

○レースまで

春頃になぜかモチベが急増し、特に4,5月は外乗りとランの頻度が異常に高かった。しかし、その間に学業を疎かにしまくってたツケが6月に入って回ってきたこともあり、そこから3ヶ月間はまともに練習した記憶がない。9月に入ってようやく重い腰をあげたが、突然記録会が舞い込んできてバイクをさぼることになったりと、なかなか思い通りに練習できなかった。(ここまで全て言い訳)
10月からの1ヶ月だけは、途中怪我も挟んだが、やれることはやった。

swim
1回の練習時間、強度には限界があったため、最低でも週4では国見に行くようにした。3月のスプリングTTあたりが自分にとってのピークだったのでなるべくそれに近い状態まで仕上げたかったが、サボった代償は大きかった。

bike
10月に入ってからの練習では調子もよく、自信もあった。しかし集団走で池谷衛さんに千切られたことで、過信せずに済んだ。

run
生足、ブリックランともに快調で、高井や多郎さんとの練習にもある程度ついていけた。1度無理をして筋膜炎になってしまったが、なんとか回復して数日で復帰。今年こそは走れると自分に期待していた。


○レース

swim
シードで名前を呼んでいただけたので、コースロープに近い最前列を取って位置取りは完璧。周りも自分よりちょい速いかなぐらいの人たちで、ついていけば1stパックに乗れることは間違いないといった感じだった。実際にレースが始まってからも大きなバトルはなく、数人で抜け出して泳げた。しかし、途中で左前方に集団が見え、自分たちがあまり上手く泳げていないことに気づく。結局最後までその集団には乗れず、先頭と15秒くらい離されてのスイムアップ。体の動きは悪くなかったので、完全に実力不足。正直、スイムはこれ以上伸ばさなくても1stには乗れるだろうという過信が春頃からあった。今思えば本当に恥ずかしいことだが、甘くみていた。それがこの15秒を生んでしまったのだろう。

T1
パックの境目にいることは自覚していたため、とにかく急いだが焦って少しもたついた。

bike
目の前に1stパックが見えていたので、これ以上ないくらいとにかく踏んだ。ジリジリ近づいているのは分かったが、追いつくよりも先に自分の足がもたなかった。今年もまた乗れなかった。気持ちが折れてやめたくなったが、なんとか奮い立たせて後ろを待った。2ndパックに乗ってからは、自分に余裕をもたせて回したつもりだった。けれど無意識のうちに踏んでしまっていて(NP290W)、腰も痛くなってしまった。去年の反省を活かして1周に1回は水分を取ってランに備えた。

T2
マットの敷かれていないボコボコの地面が足裏をいじめてきた。靴下を履いたがそこまでのロスにはならずにすんだ。

run
走り出しから足は重かった。途中から足が動いてくれることを信じて往路は粘ったが、今度は脇腹上に差し込みがきた。まだ我慢できる程度の痛みだったので、前半は体を落ち着けることに徹した。しかし後半に入っても痛みは消えるどころか増していき、呼吸すら困難になっていった。嗚咽のような音が聞こえるなと思ったら、その音源は自分だった。6キロあたりで耐えられずに立ち止まってしまい、そこからは地獄のジョグアンドウォーク。完全にデジャヴ。去年は許されても今年は許されることではない。悔しいし情けないが、どうにもできなかった。犬と散歩してるおばあちゃんと並走(並歩)したりしながらも、なんとかゴールだけはした。ただただ辛かった。


○総括
この1年去年のリベンジをするために練習してきたが、結局何も成長していなかった。周りの期待を裏切る結果しか出せない自分が本当に愚かで情けない。結果を残すことでしかこの悔しさは晴らせそうにないので、この1年で強くなって、来年のインカレに臨みたい。
先輩方、もう1年僕たち幹部代に力を貸してください。全員の力あってこそのとんとらだと思うので、たるまないよう刺激しあえたら嬉しいです。

最後になりましたが、応援してくださった皆様、並びに大会を開催してくださった関係者の皆様、ありがとうございました。声援を受けてレースができたことはとても幸せでした。
運営の方も、選手のために尽くして下さりありがとうございました。
来年こそこの恩を返せるよう、努力し続けたいと思います。


名前:室岡    日付:2020/11/5(木) 0:5

Swim 11:08(83)
Bike 1:03:49(54)
Run 34:33(73)
Total 1:49:30(65)

レースまで
 幹部交代してからの練習では順風満帆というわけではなかった。さかのぼること去年の冬、トラックでの練習が続き左足首が緩む古傷が再発し捻挫のような症状が出てしまった。そのせいで1ヶ月は走れず、トラックでは2ヶ月以上も走れなかった。その怪我が治ってきたと思ったら次は肋骨にひびが入ってしまった(理由は秘密)。そのせいでまた練習ができなくなった。治ったと思ったらコロナ禍で練習ができなくなった。スイム練が1番渋くてもともと本調子に戻ってなかったためそのまま練習をやめてしまった。他2種目も4月までは練習していたが、5セメが忙しすぎて練習するのをやめてしまった。

 8月の後半に東北地区のエントリー締め切りがありその前あたりから少しずつ練習を再開させた。幹部ということもあり、後輩も練習を積めてないようだったので自分が出るしかないと思い、2ヶ月ぐらい頑張ろうと誓った。

スイム
 いつもレースの時にはピーキングを失敗していたためピーキングを成功させればなんとかなる気がしていた。実力としては1番前で2分50サークルギリできるぐらい。

バイク
 普段の練習は体幹に力を入れようとしても疲れてたり股にマメみたいなのできてサドルに座れずパワーを維持できなかったが、その中でたくさん練習を繰り返していたので回復したら本番は絶対に千切れないと思った。

ラン
 練習しなさすぎて見失ってたフォームを焦らず思い出すところから、しっかりポイント練をやるのも2ヶ月間かけて計画をたてながら行った。これは見事に成功し、8キロ3分55でペーランをできるぐらいには戻せた(気がする)。

レース前日
 爆弾ハンバーグを2日連続食べて元気もりもりだった。前日の夜に寄せ書きをもらって読んだ。寄せ書きありがとうございました。これを読んだときにみんないいこと書いてあって素直に嬉しかったです。その人たちに一回ぐらいは全力でレースしているところを見せたいと思って気合が入った。ミズキサンからもらったモルテンをちびちび飲んだ。

レース当日
 食べ過ぎてお腹いっぱいだったのでおにぎりを一個食べ、その後に団子レース1時間前にバナナを食べた(僕にしてはひかえめ)(昼のレースのための食事は高校の経験がいきた)。
 タナソウサンを置いてきぼりにして受付をした帰りにスイムが750メートルになったことを聞いた。発狂した!!!マラソン大会開幕!!!出場したとんとらの中でワーストレベルでペーランが遅いためとんとらビリの確定演出だと思った。でも僕はSUGA君のようにメンタル弱くないのでスイムが短くなっても割り切ってマラソン大会やろうって思った。

スイム
 アップを二周分した。アップが終わったときに柴田が帰ってきてないこと、はるひさが2番手で帰ってきたことを伝えられ、正直終わった、、、と思った。このウェーブから2人団体メンバーが出る、というか出すしかない状況になったことはすぐに理解できたので気合入れ直した。それを他のメンバーに伝えてスイムスタート。このウェーブはスイムが遅い人が多いのは下馬評的にもアップしてるときのまわりの泳速的にも明らかだったので衛さんの前でスイムアップできればよかった。1番前でスタートすると焦って心拍やっちゃいそうだったのでサクラバの後ろからスタートしたが本来のインカレであればこんなことをしたら終わってた(スタートした時のサクラバはやはり遅かった)。とりあえず特に何もなく無難に遅くなんとなく泳いでスイムアップした。

トランジ1
 上がってタナソウサン40秒前って言われて絶望し、まじかよと声に出して言ってしまった(応援に笑われたらしい)。ウェットを走りながら脱ぐときにヒモが全然見つからなくて焦ったとき、頭の中に2年前のウェットが脱げていなかった木元さんが出てきて怖くなったので走るのを疎かにしてヒモを探して脱いだ。ここらへんで衛さんがスイムアップしたというアナウンスが聞こえて安堵した。あとは記憶にないぐらい流れる感じでバイク入りした。

バイク
 橋本さんに前のでっかいとこ乗れ!って言われて、どうせくっついてマラソン大会になるのに、、、とか思いながら軽く踏んだ。途中でちょっと疲れたのでその辺の人後ろについて休んだ。その人は連れてってくれなかった。前に乗り遅れた3人が集まり集団走が始まった。最初は回したが、前のパックは倍ぐらいの人数がいて距離は変わらなかったので、後ろのとんとらがまくってくることを信じて辛くて首を振ってる演技をして休んだ。途中で他2人に鼓舞されてまわすことを余儀なくされたが半周ぐらいの地点で衛さんと櫻庭のパックが回収しに来てハッピーな気分になった。そのまま7人ぐらいで回して衛さんはたくさん声出してパックの速度を上げようとするのでしょうがないからそれに従ったのを覚えている。
 2周目の2回目のターンあたりで大集団に吸収された(マラソン大会開催決定)。北條がみんなきたよ!といったので僕は偉そうによくやった!と言った。そこからはいい感じに前に出てパックの速度を上げて回収したり、落車が怖かったので前で立ち回ること、他のとんとらの人が後ろに行かないように加速レーンのときに積極的に前に入れるようにした。そのぐらいしか自分にできることはないと思った。かなり調子良かったので絶対千切れないと思ったし、中切れしても復帰できるだけの足を常に貯めながら走った。パワーを出すときには絶対足の筋肉を使うのでなく、体幹に力を込めて爆発させるような感じで漕いだ(伝われ)。
 降車に向けていいタイミングで加速レーンに入り、後ろに行きそうなとんとらの人を前に入れるなどした。最終的にばっしーさんの後ろに陣取り第2の加速レーンを作って抜かしてくるやつを全員ブロックした。ここはかなり貢献してる感があって心が躍った。

トランジ2
 自分の名前が降車のときアナウンスで呼ばれてウェーイってなった。ズームフライ3を靴下なしで履いた。2週間前に買ったばかりなので想定通り靴を履くのに手間取った。

ラン
 ラン入りしたときとんとらは全員前にいた。もうこの人たちとはお別れだなぁと思って悲しくなったと同時に自分との戦いが幕開けしたと思い、また気合が入った。最初は周りに惑わされないようにゆっくり体の動きを確認するように走った。一緒に走っていた北條はいつのまにか消えた。ペナルティボックスを過ぎたあたりでペースを上げられるようになり、そのまま1周目復路は爆走した。サクラバとの差はどんどん縮まるし、沿道で応援するとんとらの人たちが僕が走れてる姿を見て驚くのを見た時、本当に幸せだったし嬉しかった。
 2周目往路は体てきにキツ過ぎて昇天しそうだった。みんながサクラバサクラバうるさいのでとりあえず追いついたが、そこで完全に力尽きた。死にそうになりながら気合で走った。
 最後の折り返し、橋本さんがフォームを直してくれた。自分はいつも沿道の人にフォームを直されてよく走れるようになることが多いのでマネージャーさんにもともと依頼していた。案の定、橋本さんのアドバイスは完璧だったので、持ち直してもう一度サクラバを抜かそうと走った。しばらくして、サクラバくんは誰もいないところで足をつって止まった。七ヶ浜のデジャブだと思って、走れ!って一喝して抜かした。本当に本当にキツかったがみんなに最後まで全力でやってるレースを見せるんだ!という思いでゴールまで走り抜けた。

3’48/km

まとめ
 今回のレースは今の自分の実力の120%を発揮できたと思う。出ると決めてから2か月間出れなかった人たちに恥じるようなレースはできないからと頑張ってきたが、今回の僕のレースをみてくれた人が少しでも心が動かされてくれていたら本当に嬉しい。レース中の応援も寄せ書きも全部あってこそあのレースができました。ありがとうございました。
 幹部として団体8位だったことはいいことではない。今年はコロナウイルスの影響で部活動停止が余儀なくされたが、忙しい5セメの中でと幹部として練習を続けるべきだったし、部活動再開についてももっと早くから動きだすべきだったと思う。幹部として部活に貢献するというのは団体メンバーに入ることが明確でわかりやすい目標であるが、最も大事なことは先輩も含めみんなが練習に来たいと思う部活を作り、部活に対して刺激を与え続けるという点にあると思う。34代はそれを途中で見失ってしまった。本当に申し訳ない。35代はこれから始まる新歓や、後輩が全然いない現状も踏まえると幹部として今年の前期ほどではないかもしれないが、かなり大変なものになると思う。けれどそんな状況にも負けないであと10ヶ月突っ走って欲しい。応援してる。
 来年のインカレは出るかは決めてません。もし出るとしたら今年よりもずっと早くトライアスロンランを早く走れるようになっていたいと思っています。
 最後に、この大会を開催してくださった方々にこの場を借りて感謝いたします。また、運営や応援で遠征に参加してくれた人すべてに感謝します。素晴らしい経験ができました。ありがとうございました。
 


名前:鈴木    日付:2020/11/7(土) 12:15

スイム 9:58(38)
バイク 1:04:39(96)
ラン 34:45(75)
トータル 1:49:22(63)

レースまで
去年はトライアスロンに対するやる気がなく、正直インカレを見ても来年こそは出たいとは全く思えなかった。しかし、ここでやめたら将来絶対に後悔すると分かってたので幹部交代から一年間は頑張ろうと決めた。この決心のおかげで自分含め周りの人達がコロナでやる気がなくなっていた中でもそれなりに練習を続けてこれた。9月から本格的に練習を再開した。スイムはそこそこ、バイクは多分自粛前と同じくらいかそれ以上、ランは過去一まで上げたが、2週間前くらいから調子が落ちた。本番だけは強いと自負していたので体が勝手に調整してると思いスイムとランはそこまで心配していなかったが、バイクは千切られる気がして不安だった。また、千切られなくても展開によっては自分が団体に関わる可能性もあると思い怖かった

当日
スイムが750mになると聞いて自分には不利だが、団体に関わる可能性はゼロになったと思い、気持ちが楽になった。気楽になり過ぎて緊張感がほぼゼロになったのは良くなかった

スイム
出来るだけ柴田についていこうと思っていたがシード選手で先に前に行ったため見失ってしまい実行する前から作戦失敗となった。スタートしてからは周りが落ち着くまでは前を狙おうとしたが予想以上にごちゃごちゃで気づいたら折り返しだった。そこからはここら辺の人達のパック乗れればいいかなと思い、前にいこうとせず休んだ。甘え。レース前に20~30位で上がれると予想していたがダメだった。まともに出来るのがスイムしかないのにここで手を抜いてどうする。確実にパックに乗れるよう集団の前方であがるべきだった。集団がどう広がっているのか確認していれば出来たはず

トランジット1
ここの数秒の遅れが最終的に大きな差になった。

バイク
スタートして前にパックが形成されつつあり、絶対にそこに乗りたいと思ったが、追い付けなかった。自分とほぼ同時にスタートした人は乗っていたのでバイク力の無さがいきなり露呈した。あきらめて後ろからパックが来たのでそこに乗った。一周目橋を渡った辺りでボトルを捨て、軽量化した。まだ一滴も飲んでいなかったのでその効果は絶大だろう。絶望。パックは8人いたがちゃんと回しているのは半分くらいで自分を含めた何人かはサボり気味で度々縦一列になっていた。何回か回したら休むを繰り返すという中途半端なことをしていた。ラスト一周で大集団に追い付かれた。降車時に隣の人と接触し、巻き込み落車してしまった。本当に申し訳ないです。その時にバイクシューズが外れてしまっていたらしく15秒のペナルティを頂いた。

トランジット2
靴擦れ覚悟で靴下を履かなかった。結果めっちゃ靴擦れした

ラン
ここまで爽健美茶以外給水なしだったので脱水や足がつることを覚悟していたが何とか最低限では走れた(終始両足つりかけてたが)。Aで3番手になったとしてもBにばっしーさんがいるので団体に関わる事はないと一周目は気楽に走った。2周目でペナルティを消化し、ラン奥でさっきよりも明らかに遅い段階で柴田とすれ違い、あれ?もしかしてワンチャン部内3位ある?楽しく走ってる場合じゃない?となり、そこからは必死に走った。最後ラストスパートかけようと思ったが完全に足がつりそうになったのでできなかった。

まとめ
最終的に部内6位で3位の衛さんとは1分40秒差、団体6位に入るためにはさらに2分20秒縮める必要があったので自分がベストのレースが出来ていたとしても大きな影響はなかっただろうが、これがもっと接戦だったとしたら後悔しか残らないレースになっていた。ここに書いた以外にも反省点がたくさんある。しかし、去年のインカレから一番成長したのは自分だと自信を持って言える。よく練習を続けた!偉い!よく頑張った!
来年はインカレ出場だけでなく団体メンバーに入り、表彰台に乗りたいなぁと思っているのであと一年よろしくお願いします。
マネージャー、運営、応援してくださった皆さん本当にありがとうございました。サポートがあるからレースが出来ているのだと改めて感じました。
最後に34代の皆様幹部お疲れ様でした。やりきった、まだ続けたい、やっと終わった、思うところは人それぞれかと存じますが私の気まぐれと独断により来年彩湖にて34代atcカップの開催が決定致しましたことをここにご報告申し上げます。つきましては今後も練習への参加が推奨されますのでご留意下さい。13名全員のご参加を心よりお待ち申し上げます。
(atcじゃなくてもリレーとかでもいいからみんなでなんか出たいなぁ~練習行こ~)


名前:北條    日付:2020/11/7(土) 15:4

男子B組
total 1:52:59(98)
swim 11:52(111)
bike 1:03:04(24)
run 38:03(114)

目標:パックに乗ること、あわよくば100位以内

前日まで
3月末を最後に部練ができないまま夏を迎え、8月に代で代全員でのインカレのブロック推薦へのエントリーが決まった。選考基準となる認定記録会にも出ていなくて、昨年のインカレ予選七ヶ浜の成績も全く振るわなかった私は東北ブロックの代表になることはないだろうと思っていた。しかし、「キミ練習頑張ってねー(笑)」平田から意味のわからないことを言われた。が、一瞬で察しがついた。マジか。
私は極めて単純なので、夏休みに見た弱虫ペダルの映画の影響で8月に入ってモチベーションが戻り、練習を再開した矢先の出来事だったためすぐにインカレに向けて急ピッチでベースを作り直し始めた。大学が作成したコロナウイルス対策のガイドラインに則らなくてはならないため、少人数での練習しかできなかった。冬頃に行えていた大人数での練習の楽しさと部全体としての士気が保たれることの大切さをひしひしと感じながら約2ヶ月半、必死に追い込みつつ怪我をしないよう調整(?)をしたりケアをしたりしながら当日を迎えた。
3~4日前はタンパク質多め。1~2日前は炭水化物多めのカーボローディングを行った。当日の気温はここ最近では暖かい方だったのでウォーターローディングも行った。
10月に入り、学校が再開したことで日中の時間があまりなくなって練習できる機会は減ってしまっていたがそのおかげで疲労はよく抜けた状態だった。木にクリヤマと25キロほどバイクに乗り、ジョグと1000、ow。金にスイム1500、金土にバイクラン試走をそれぞれ行った。強度はかなり低めで、90°コーナーの立ち上がりだけ少し踏む感覚を体験してみた。
前日の夜ご飯は例年通りハンバーグ。食べ過ぎて翌朝トイレに駆け込んでしまう経験がたくさんあったので、ご飯の量は食べ終わったときに幸せになれるくらいを目安にした。夜にオンラインのメッセージカードとミサンガ、例年スタート前にかかるコールのカードを読みひと泣きしてから眠りについた。

当日スタートまで
朝5時前に起床。スポ少の頃から大会の日によく聴いていたファンモンのちっぽけな勇気を聴いたらなぜかまた泣けてきて、そのせいで震える手でおにぎり2個と味噌汁を朝食にした。もはや緊張とかはなく、ひたすらこの2年半を思い返していた。会場に着いてからは部員たちと会話を交えながらゆっくりとレースモードに気持ちを切り替えていった。いつも朝早くて入水チェック前などに慌ててしまうが、今回は12:40スタートということでかなり時間に余裕があったので、何時に何をするか、何を食べるかだいたい決めていたのでそれ通りに動いた。これがあるとレース前落ち着いていられる。マメだな(そんなことない)。「当日背中ぶっ叩いてあげる」と推しピが言ってたのでぶっ叩いてもらった。痛かった。

スイム
美優さんが作ってくれたカンカレなどのスイムラップを見たら、自分はまともに良い泳ぎをすればボリュームゾーンの真ん中らへんだなと思った。失敗してもパックには乗れることを確信していた。はじめは外側から出ようと思っていたが、A組を見ていたら内側が謎に蛇行する傾向にあったので、自分は内側からスタートしてそれで空いたブイまでの直線方向のスペースを泳ごうと考えた。レース前に短縮のアナウンスがあり、昨年の七ヶ浜を思い出した。去年はそこでムダに思い上がってムダに頭が真っ白になって…(以下省略)。なので今年は特に何も考えないことにした。入水チェックの際、想定よりも水温が低くないように感じたため、いつも通りの泳ぎができるのではないかと甘く見ていた。
いざスタートしてみるとやはり前は少し膨らみながらどんどん進んでいったため、自分は最短をひたすら泳いでいた。同じ考えをもつ選手は他にもたくさんいたため絶え間なくバトルが起きてかなり疲れた上に、いつものプールのようにキックをたくさん打っていたら折り返し直前あたりから脚が固まっていることに気がついたが特に何もできないのでそのままペースを落としながら泳いでいた。体感ではプールで自分よりも少し遅いキモニイさんよりも遅く泳いでいたが、短縮されたことも相まって、失敗してもさてここからダッシュと思い走り出した途端右前に勢いよく飛び出した小柄の黄色のzootマンが「ほうじょう!」と叫んできた。ばっしーさんだた。大失敗でもなかったのかな~と思った。

トランジット1(大問題その1)
「まもるさくらば20秒!」と応援部隊が叫んでいた。またサクラバに負けた~ちぇ。ウエットスーツは練習通りスムーズに脱げた。一呼吸置く間も無くヘルメットをかぶろうとしたらおでこに何かあってうまくかけられなかった。「あーゴーグルか~」と思いながらなぜかバイクを下ろしてしまい、その後キャップを外しヘルメットをかぶり直した。急いでゼッケンベルトを履いたら上下反転していた。まあいっか。乗車ラインへダッシュ!ばっしーさんは目の前にいた。マーシャルのおじさんは叫んでいた。「308!逆!」(お気づきだろうか)

バイク
乗車ラインの5メートル手前で先程のマーシャルのおじさんが手を前に突き出して、ゼッケンベルトを付け直すよう指示してきた。ばっしーさん、さようなら。お元気で。マーシャルのおじさんに助けてもらいながら、ゼッケンベルトを付け直して華麗な飛び乗り。昨秋のカーフマン前に練習した甲斐あって、周囲とは一線を画した飛び乗りだったと山内くんが褒めてくれた。
当然とんでもタイムロスのせいでばっしーさんの小さな背中はもはや小さくすら見えなかった。キモニイさんが後ろから来る頃だろうと思いながら、今泉で鍛えた600~700Wほどのスプリントで前の体デカ目の関西人たちのケツに張り付きその前にいたパラパラを回収しながら小さなパックを作り、すぐにローテーションを開始したら筑波の斉藤光やキモニイがいた(第8(?)パック12人くらい)。やっぱりこうなるか、まあラッキーやな。イキリかガチモンかは置いておいて、比較的前に出たがる選手が多かったので「綺麗に回して楽に回収してこう!」と声をかけながら巡航をあげていった。ばっしーさんは回収したいなあとか思ってたら半周くらいのところで追いついた(第7パック26人らしい)。この時点で人多過ぎてもはや機能していたのかはビミョーだし、ローテーションに出られる人は限られていた。加速レーンを走っていたら「ほーじょー!ほーじょー!」と叫ぶ仙台大の西村さんがいたので「にしむらさん!」と返したら西村さんは落車した。一瞬で緊張が走った。ばっしーさんの怒号が飛ぶ。こわいよぉ…そんなこんなで落車や千切れなどで人が減ったものの、いつの間にかムロオカザウルスとサクラバと衛さんのパックまで追いついていた。(第4パック30人くらい)え、楽しいやつやん。この時点でドキドキは完全にワクワクに変わっていた。このパックでインカレという大舞台を走れることがどれだけ楽しくてどれだけ幸せなことか。そんなことを考えのほほんとしていたら、この巨大パックはいつの間にかたなそうさんどころか2位と3位の選手までもを吸い込んで超巨大パック(第2パック50人弱)となっていた。もはや意味がわからなさすぎた。基本的にはローテーションに参加し、減速レーンで後ろに下がってきたら無理やり加速レーンに入れてもらいながら回っていたが、応援がたくさんいる北側に近づくにつれて先頭に出ていきなり加速するガ○ジ君が暴れ出したところで一度「ここだけ巡航あげるのやめろまじで」と声をかけたところ同じくイライラしていた青いトライスーツの方が「調子のんなああああ!!!!!!」と叫んでくださった(YouTube参照)。が、そのまま巡航あげた方よかったな~と思った。そこからは特に大きな加減速なくとんとらの7人の戦士を中心にパックを回してあっという間に6周終わってしまった。たまたまローテーションのタイミング的に前から8番目くらいで降車ラインを迎えることができたので、少しだけスプリットタイムに期待して隣を見たらとんとら勢揃い。太ももの張り具合からマラソン大会敗北を予知しながらもなんとかトランジッションへ突入。


名前:雄大    日付:2020/11/7(土) 15:5

トランジット2
スイム後は感じなかったが、広大なトランジッションエリアの地面はゴツゴツしていてとても裸足で歩けるような道ではなかった。しかも広くて、遠かった。みんなの足って屈強だなあと思いながらバイクラックへ向かうととんとらは再び全員集合した。靴下を履いている間に先輩方はいなくなり、サクラバとムロオカザウルスと共にランコースへ出て行った。

ラン(大問題その2)
ラン入りは悪くないペースだ、と思っていたがサクラバが速すぎた。潰れろ、と呪いをかけながらムロオカザウルスの後ろを走った。風ないけど風よけになってくれ。ところがどっこい、ペナルティボックスを見ると308の文字が。???ゼッケンベルトのことかなと思いホワイトボードを見ると「ヘルメット装着」と書いてあった。ああ、そうかそうだよな(back number)(詳細はトランジット1)。呼吸が苦しかったので少し休んだらムロオカザウルスをぶち抜こう、そう思って15秒のペナルティを消化した。ところがどっこい、脚が固まったではないか!これは!!!デュアスロンかな???つりそうな脚をなんとか前に出し続けはしたものの、サクラバどころかムロオカザウルスの金髪すら見えなくなっていった。終わった、部内最下位や。脚が復活する様子もなかったのでいつも通りのぶっつぶれテキトーランで終わらせようと思った。
しかし、少し走るととんとらの応援が絶え間なく私の名を叫んでくれる。普段共に練習し、切磋琢磨しあってきた同期や後輩が叫んでくれるのはもちろん力になるが、それに加え今までインカレで活躍してきた先輩方も私の名を声を枯らしながら叫んでくださる。目の前をみっともない姿で通り過ぎた後も私の名を叫んでくださる。女子、男子A組、を終えて疲れ切っているにもかかわらず、男子B組のとんとら内最下位の私のためにランコースの奥でずっと立ち続けてくださったり、ひたすらファインダーを覗き写真を撮ってくださっり、たくさんの先輩方が最後まで応援してくださる、そんな舞台に出たにもかかわらず私は何をしているんだ。そんなことを考えながら重たい脚を前に進める自分に「さっきより走れてるよ」「クリヤマに勝てるよ」「幹部ラストだぞ」「悔いなく終わるぞ」「斉藤光抜かすぞ」「ほーじょー!」「ゆーだい!」「ラスト!」「出し切れ!」と声をかけてくれる先輩、同期、後輩、さらには合宿やレースで仲良くなった他大学の仲間たちがいる。なんて幸せなトライアスロン人生なんだろう。そんな気持ちで応援たちの間を走り切った。ゴール手前では涙でよく前が見えなかった。

総括
特に何か仕事ができたとは思っていない、名ばかりのバイクパート。部内でも突出して速いわけでもなかった。なんなら集団走は苦手で二年生の頃までは練習ですぐに千切れていた。そんな自分に仲間たちは「バイクパートの意地を見せてこい」とメッセージカードに書いてくれた。そんな自分がこの大会に出るにあたってできることはやはりバイクで頑張っている姿を見せることくらいしかないのではないかと思ったので、ひとまず千切れず巨大集団の根源になれたのはよかった。
2年半やってきてこれだけのことしかできないのかと虚しくなったが、それだけ真摯に取り組めていなかったということだし、当然の結果である。それ故に緊張しなかったのだなと感じている。
私は、はじめに書いた程度の目標しか掲げることのできないインカレしか、迎えることができなかった。本当に情けない。町田、髙井、澤村、名前をあげればキリがない。自分よりも力があるのに出場できなかった仲間もいたのに、彼らはどんな気持ちで私の走る姿を見ていたのだろうか。申し訳ない。

こんな私にこんな大舞台を経験させてくれるチームに私は所属していたのかと思うと、一度やめかけたこのスポーツを続けてきて本当に良かったと思えた。入部以来、部活と言えど個人種目なんだからチームなんてばかばかしい、そう考えていた私にインカレという大会が、チームや仲間の大切さという大事なことを教えてくれた。更にはトライアスロンとの出会いや、とんとらという仲間の存在に感謝しなくてはならないと改めて感じた。
これで幹部は終わった。半分以上活動していないからかもしれないが、長いようであっという間だった。燃やし切るものすらなく、不完全燃焼もできなかった。私は院進するので(宣言)まだまだ競技は続けられます。が、この場でインカレを目指すか目指さないかを宣言するのは怖いから避けます。

最後になりますが、パワーメーターやモルテンの提供に加え、前日や当日に声をかけてくださったみずきさんをはじめ応援してくださったOB,OGの皆さんや、当日支えてくださったサポートの皆さん、そしてここまで共に歩んできた34代の皆さん、ありがとうございました。今後もこれまでのようにみんなと練習したいな~35代の皆さんは新歓と並行して幹部とがんばらなきゃなくて大変かと思いますが頑張ってください!


名前:櫻庭    日付:2020/11/8(日) 14:40

swim 0:11:25(87)
bike 1:03:31(39)
split 1:14:56(73)
run 0:35:02(79)
total 1:49:58(71)

レース前
3月末から部活動としての活動が禁止され練習ができなくなったことに加えて、インカレ自体が開催されるのか分からない状況でどこへ向かって行けばいいのか、その方向性を見失ってしまった。部練習を再開した8月末からコンスタントに練習し始めた。当初はかなり衰えており、このままでは完走も出来ないのではないかと思った。インカレ1ヶ月前の10月はこれまでの中で一番走った月だった。ラン練をしなかった日は3日ぐらいでそれ以外は約6~8キロほど毎日走った。走りすぎなきもしたが短い期間で仕上げた。しかし、ピーキングはそこまで上手く出来なかった。

レース当日
アップは1時間前に動的ストレッチを行った。また、ランのフォームを確認した。バイクを7時搬入でレース12時40分開始だったため、ローラーはしなかった。また、先日のスプリントの話を聞く限り、アップを入念に行わないと水が冷たすぎて身体が動かなかったり、肺に息が入らなかったりすると聞いていたので、入水チェックで冷たくてもしっかり泳いだ。緊張はそこまで感じないようにリラックスして臨めるように努めた。

swim
ばっしーさんの助言でスタート位置は前の方がいいということと、流れでとんとら勢が内側にいたので内側の最前列をとった。隣はたなそうさんで後ろに室岡、まもさん、ばっしーさんがいた。室岡には前に行って欲しかったが誰かの後ろにつきたいという事で自分が前に行った。
スタート後、少ししたら20人ぐらいの先頭集団に差をつけられ、その後ろを単泳という展開だった。行きは水飛沫とブイを目指したが、帰りはブイが見えなくて周りに人もいなかったので蛇行が怖くなって横のブイに沿って泳いだ。腕が動かなくなってきて不安が自分を襲ったが、上がった時室岡20秒前で後ろにまもさんがいたため、遅いどころか速い方だと思って安心した。

transit1
渡良瀬の浜ランは痛いと聞いていたがそうでもなかった。ウェットはまあまあ早く脱げたが、ゼッケンベルトに少し手間取った。あとは普通。飛び乗りはできません。すみません。デュアスロンまで練習します。

バイク
スイムアップはまもさんより速かったが、乗車で置いてかれた。最初は4人。まもさんが容赦なくて速かった。まもさんと同じパックという理想的な展開に興奮して巡航速度を上げようと思ってしまった。結果的にそこで疲弊したし、90度カーブで一瞬ちぎれかけた。その後はパックを回収し、ばっしーさん、木元さんも来たので巡航速度を上げて出来る限り速くばっしーさん、木元さんをランに繋げることを考えた。中切れが怖かったので先頭の方にいるようにしたがその分引く回数が増えた。特に足は疲れていないと感じていた。降車は前の方で降りることを意識していたがとんとら勢が占拠していた。

transit2
靴下を用意していたがマラソン大会だったので履かずに出た。
速くもなく遅くもなくだと思う。

ラン
一番練習したランで疲れはないと思っていたのでばっしーさんの背中を追おうと思った。が、1キロをすぎたあたりで両前腿をつり、一気にスピードを落とした。心肺は余裕だったが足が動かずもどかしかった。走り方も踵着地に変え、とにかく止まらずに走り続けることを重視した。2周目に室岡に抜かれ、負ける?と思ったが室岡も全力だったようで暫く後ろに張り付いた。折り返し近くでフォアフットに戻し1度抜き返したが、500メートル進んだところで完全に足をつり、その間に抜かれた。応援が散らばっていたため、最後まで全力で走れた。しかし、遅かったし結果も悪かった。

まとめ
幹部代は結果を残さないといけない。先代の先輩方が負ってきた責務を主将として果たすため、レースに臨んだ。しかし、結果は団体8位。団体メンバーは4年生以上。はっきり言ってとても情けない結果を残してしまった。レースが終わった後、全力を出し切って終えた安堵感と全力で71位という虚しさと団体8位をとってしまった申し訳なさが混じって深く考えられなかった。
この結果となった原因は、沢山あると思う。部練禁止になった後、8月末まで練習体系を整えなかったこと。レースを想定した高強度の練習を行わなかったこと。今年初のレースの人がほとんどでイメージを掴めきれなかったこと。そしてなによりも実力が他大にくらべて圧倒的に足りていなかったこと。幹部代としての、主将としての責務を全うできなかったこと本当に申し訳ありませんでした。
35代の幹部スローガンは『革』。強いとんとらを取り戻すため、新しい風を取り入れ一から作り直してください。自分もそのために出来る限り協力します。
最後になりますが、このようなイレギュラーな状況の中、頑張ってくださった運営の方々に本当に感謝しています。特に主務ののんちゃん。お疲れ様でした。本当にありがとう。選手として結果で応えることができず不甲斐なさでいっぱいです。
また、沢山の応援ありがとうございました。落としがきもレース前日に見ました。本当に沢山の方からメッセージを頂き、幹部代、主将の責任を改めて自覚しました。本当にありがとうございました。
自分の幹部代はこれで終わりとなりますが、陰ながらサポートしていきます。
ありがとうございました。


名前:木元    日付:2020/11/9(月) 9:41

○リザルト
swim 0:12:26(129)
bike 1:02:22(11)
sprit 1:14:48(63)
run 0:33:30(50)
total 1:48:18 (49) 部内4番手

○振り返り
この一年は、モチベの波・コロナ自粛といったいわば内的要因や研究室・院試勉強などの外的要因に揺さぶられ練習のムラがとてもありました。かといって幹部の頃のように無理して頑張るとモチベの糸が擦り切れてしまうのは目に見えていたので、無理せず、息の長い継続を心がけて、何とか糸が切れずにやってきたという感じです。たとえ長い期間が空いたとしても、自分が継続できていると思いこめば、辛くならずに済みました。また、最低でも1種目続けていれば、3種目本格的な練習に戻した時にも心肺の復帰は早かったです。特に自分はバイクに関しては趣味化していたので、幹部後は宮城のサイクリスト達の練習会などにもお邪魔したり、一人で色々遠くにライドに行ったりして、それで心肺のベースが出来ていました。好きになるともはや努力じゃなくなります。幹部の頃はタイムが伸びなくて辛かったスイムも、幹部後は余計なプレッシャーを感じずに継続できました。経験値が増えた分、自分の身体の動きをより頭で理解できるようになりましたし、インカレ前の2ヶ月間ではそれを活かし、且つ市民プール課金で泳ぐ頻度を増やし、自己ベスト更新にも繋がりました。しかし、ランはデュアスロン後からは軽視しがちで、結局インカレ前に本格的に走り始めたのが9月下旬からということになってしまったのは、失敗でした。要するに、薄くても続けるのが大事というのが、今年学んだ一番の教訓です。
去年のインカレ後は、スイム5:30/400m切る位じゃないと来年はインカレ出ないと思っていましたが、そんな自分がちゃんと出場を決心、というより今年これ以上弛まないと決意したのは、コロナ自粛で4月から部練が出来なくなり、全ての大会がキャンセルになり、Lineの練習メンツ達も活気が無くなり、ついに自分も研究室の忙しさに負けて全く練習しなくなった6月で軽く絶望した後です。今年はインカレも無く大会ゼロで終わるかもしれないけれど、練習を辞めてはならないと、一人勝手に思いました。自分は、コロナ以前も大会キャンセルが多かった下の代より多くのレースに出てきてトライアスロンの楽しさは知っているはずだし、大会が無いから練習しないのは違うなぁと。それに、部練が復活した時、お荷物先輩になるのは嫌でした。状況は何もかも悪かったですが、復活の時が来るのだけを信じていました。5月に和也さんが開催したランTTに参加し、そこでお会いした方々も各々目標としていた大会が無くなった中で1人練習を続けている姿を見て、自分も心強くなりました。7月頭にインカレが10月末に開催予定との知らせが入りました。嬉しかったですが、選考方法が去年の成績に基づくということで下の代には本当に申し訳なく、しかし出られるメンバーに入っていたことから出るからには相応しい選手にならなければと、ようやく心を固め、持ち直しました。7,8月は研究と院試勉強が忙しかったものの、可能な限り国見で泳ぎ最低限を保ちました。9月にはついにグループで練習が出来るようになり、そこからはいつもの切磋琢磨が出来て、改めて部練の有難みを感じました。スパッと再スタートしてくれた幹部の皆には、感謝しか無いです。


名前:悠太    日付:2020/11/9(月) 9:42

・調整~スタートまで
9月頭に今まで避けていた献血を初めてした。想像よりも血を抜いた影響は無く、むしろ血液状態が分かるので、レース前でなければやってみるのはありだと思った。
本格的な調整は、9月からの2ヶ月間。これまでの経験から3種目同時に調子を上げることは難しいと思っていたので、スイムは頻度を増やしながらそのまま継続し、バイクを前半の9月で仕上げてその後は維持し、後半にランをピークに持っていくという作戦をとった。特にバイクが上手くいき、9月後半に270km5000mupのbigライドをしてからはLSD機能が大改善し、青根を走っても疲れない身体に仕上がっていた。スイムやランにも耐乳酸能力向上が波及し、スイムのフォーム改善とともに、400mTT自己ベスト更新につながった。しかし、上でも述べたようにランは絶対的な距離積みが足りておらず、10月後半にはデュアスロン練などの短距離で調子が良く見えていたものの、それを10km維持できる脚にはなっていなかった。
渡良瀬は得意なコースだったので観音寺よりも緊張は無かった。ローディングや前日の買い出しなども、4年目にもなると変に頭のキャパを使うこともなく。今までで一番、頭の中はクリアーな試合前だったと思う。メッセージを読むなどして気持ちを高めていると、土曜の朝が早かったせいか準備完了前に寝落ちして途中で起きたので、あまり良い睡眠ではなかった。当日はそのせいか眠気があったので、横になり解消。昼からのレースで良かった。後に結果を左右することとなるスイム750mへの変更は、聞いた当時は特に気持ちの高揚もなく。どうせ自分は陸で追い上げるだけ。スイムアップ時にAの結果が良くないことは知ったが、レース展開としてBの3番手には入り得るという想定はしていた。やるだけ、というサクッとしたマインドセット。思ったより水は冷たくなかった。

・Swim
スタート位置は、とんとら勢が固まっていた内側の後ろの方。ブイまではバトルが激しく、2回ゴーグルを蹴られて付け直さないといけず、数秒ロスした。国見でやってるOW練並に進路を塞がれ、ヤバいかもと思い復路は少し外側に進路を取って、かわしながらペースを上げた。スイムアップすると、北條が30s前。もう少し近くで上がる予定だったので、やらかしたと思った。周りに人はいたがトランジから出ていく人のほうが多い。これに乗らねばと、急いだ。無事ウエットも脱げた(大事)。

・Bike
北條のいる集団が遠くに見えたので、乗車後即踏み抜く。人数比的にアレに乗らないと終わりな気がした。斎藤光くんが近くにいたので後ろにつかせて、とにかく全力で踏んだ。最初のコーナーに入っても追いつかず前では集団が回りだすのが見えて置いてかれてゲームセットかと思ったが耐えて、傾斜になっているあたりで追いついた。Swimが1500mだったら後ろのパックだっただろうし、今年もスイムが遅かった。観音寺だったら今年も最終パックだったかもしれない。とはいえ、自分のスイムアップ前後数秒がパック最後端だったので追いつけたのは良かった。しかし集団に入ってみると余裕だったので、そこまで頑張らなくても追いつけたかもしれない。ペースアップのために、先頭に飛び出して後ろを煽ったり、細かい先頭交代をするように声を出すなどした。そしたら、桜庭パックに追いつき、衛パックに追いつき、と面白い展開になってきた。人が多くなっても、引ける人が前で回す雰囲気が作れていたので、ペースも上げていけた。流石にたなそうパックまで全て回収するとみんな気が緩み、落車も警戒し若干ペースが落ちたが、とんとら勢は終始主導権を握っていて、去年のインカレ最終パックのような機能不全にはならなくてよかった。途中とんとら中心に逃げることも考えたが、人数が多く厳しかった。いずれにせよAグループに対抗するためにはバイクを高速化するしかなかったので、Swim短縮におけるベストなシナリオだったと思う。前で上がった人たちほど悔しいと思うが。降車の少し前にばっしーさんが先頭を長めに引いていてこのままだと減速レーンに埋もれるかと思い、前に出て強めに引いた。反応してとんとら勢は上手く前方で終われるように動いていたので、この2ヶ月間、集団走をみっちり繰り返してきた成果だなーと感心しながら、降車。靴下履かずに走り始めたが、履くべきだった。

・Run
衛の次に走り始めると、3'15ペースで入っていた。色んな応援の人の声が聞こえる。「34分なら団体メンバー」「木元、団体入るよ!」衛に追いつき並走するが、バイクで割と踏んでたからか、これはキツイかもしれないとよぎる。ばっしーさんがBでとんとらTOPで、2人目が団体メンバー圏内。衛に食らい付くも、奥に行く頃には離されていた。実際3'50近くまでペースが落ちていた。その後は衛や同志社の粟津を目印にずっと耐える。5kmくらいから、裸足で走ったせいで右足に出来た靴ずれが痛む。いつもなら更にペースを落としてしまうが、最後のインカレかもしれないと思って、足のことは忘れて、絶えない応援の力と眼力で集中力を保った。瑞樹さんの応援で「息を長く」という的確な指導があり、それで肩の力も抜くことが出来た。池谷さんの「キモト~、キモト~、キモト~×5」という大声の叫びが頭にこだまして、集中が切れずに済んだ。出せる力は全て出しきった。3'40/km

・まとめ
スイムが短縮するという幸運?によって自分としては最高の展開でバイクを終えました。ランで期待されていた割に衛より走れず団体メンバー入りを逃したことは悔しいです。しかし、今年のインカレに向けてやってきた事は全て出しきったので、その点は悔いはないです。今後ですが、バイク後のランでしっかり走れたことがあまりないので、次のデュアスロンまでの期間が自分を変えるラストチャンスだと思って、頼もしい次のランパートリーダーのもとでランの向上を図っていきたいと思います。

まずは、応援してくださった方々、インカレ開催に向けて尽力してくれた方々、本当に有難うございました。そして、イレギュラーな辛い時期を経てきた幹部の皆さん、本当にお疲れさまでした。まだまだこれで終われない人もいる思うけど、少しでも続けようかなって思ってる人はやめないで。薄くても続けた先には良いことがあります。35代の皆さんは、大変になるかもしれませんが幹部代として頑張ってください。自分はこれからも練習には出来る範囲で出続けます。出来る範囲で新歓も協力したいと思っています。今、チームは上り調子だと思うので、このまま盛り上げていきましょう。

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